雪見、月見、花見。

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あなたの価値観が世界を彩る ~3原色で見る社会の歴史と未来~ 後編(社会章+おまけ)

⇩前編から続きです(まだの方はそちらから)

社会における3つの価値観、そして「力」

さて、ここまで、価値観の分類について説明してきましたが、皆さんご自身の立ち位置、イメージできたでしょうか。

 

とはいえ、驚く無かれ、まだ話は「前置き」です。(笑)

 

・・・気が遠くなるかもしれませんが、書いてる私が一番気が遠くなってるので許してください(/ω\)

 

ここまでは個人の価値観の話でした。

でも、このままでは、ただのその辺にある性格判断本と変わりありません。

どうしても自己分析したければ、他にもっと多くの方法や、もっと正確で詳しいものがあるでしょう。

 

私の話がここで終わっては意味がありません。

ここで終わっては、しぶとく付き合ってきた「理」「実」「美」すべての派閥の人に怒られることでしょう。

 

大丈夫です。

こっからが本番です。

 

私たちは御存知の通り、社会の中で生活しています。

だから、私が本当にお示ししたいのは、あの三角形の空間の中に沢山の人を放り込んだら、どんなことが起きるか、いや、どんなことが起きているのかです。

 

気になりますよね?

 

それでは、3原色、社会章の開始です。

 

 

現在の社会の価値観の分布

まず、私の想定する現代社会の価値観分布について見て下さい。

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「実」の人が多くて、他2隅に散らばっていますね。

そして中間や中心部の人が少なめになっていますね。

 

すっごくアバウトな図ですし、もちろん厳密に確認したわけでなく、私の推定ですが、一応理屈はあるので、これから徐々にご説明します。

とりあえず、説明の都合上、この推定人口分布を前提に話を進めますが、ご辛抱下さい(嫌な方は、ご自身の想像する分布を考えていただいても大丈夫です)。

 

さて、この人口分布を総合すると、社会における人々の重心が分かります。

 

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当然少し、「実」寄りになりますね。

人々の価値観を総合した、この重心こそが社会の「価値観」になります。

 

この重心は大きな意味を持っています。

その名の通り、重力を発生させているからです。

 

 
■重力の発生原理

重力って、また何でいきなり突飛なと思われるかもしれません。

 

ですが、ちょっと考えてみて下さい。

 

今まで生きてきて、人の意見や価値観に影響されなかった方っていらっしゃいますか?

いらっしゃらないですよね。

 

もしくは、人の価値観に全く影響を与えてこなかったという方いらっしゃいますか?

さすがに、それもありえないですよね。

 

そう、人と人は影響し合います。

他人の言説や行動に引き寄せられて、価値観を近づけることなんて日常茶飯事ですよね。

「同意しました」「共感しました」

その言葉をあなたが発する度、そう思う度、あなたはその人の価値観に吸い寄せられているのです。

 

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これがこの価値観三角空間における重力です。

アインシュタインの一般相対性理論でも空間に物質がおかれると空間が歪んで重力が発生することを示されましたが、それに似た話です。

 

従って、社会における重力場は下のようになります。

 

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人の数は重さになります。

 

誰しもご経験があると思いますが、「多くの人が言っている、信じている」という意見は非常に強いものがありますよね。

ついついそんな意見に従いたくなる気持ち、誰しもあるのではないでしょうか。

 

ですから、もし「実」に人口分布が偏っているなら、重力も「実」に偏ることになります。

 

ここで、

「それだったら、みんな「実」に固まってしまうはずじゃないのか、どうなってるんだ」

そう思われると思います。

 

そう、仰る通りです。

重力だけ効いていたら、当然そうなってしまいます。みんな1つの価値観になってしまいます。

 

だから、当然そんな引力に対抗する斥力(反発力)、いわば反重力があるのです。

 

 

■反重力(斥力)の発生

みなさん誰かと全く同じ価値観になるって、どうですか?

他人の価値観を理解するとか、尊重するというレベルでなく、全く同じ考えになるレベルで。

 

物や考えなどあらゆるものの好みや考え方が全く一緒。

まるで自分のコピーのようなドッペルゲンガーのような。

 

そんなのちょっと耐えられなくないですか?

 

自分は自分でいたい。

自分を失いたくない。

 

そう思いますよね。

 

そう、その気持ちです。

それが反重力です。

 

程よい距離なら、近い価値観の人に親近感がわきますが、それがあまりにも近くなると、人は急に恐怖・拒否感を覚えます。

 

また、説明するまでもないですが、自分の価値観とあまりにかけ離れた人だと、何言ってるのか理解できず、「アホちゃう?」と拒否反応が出るはずです。ここにも反重力が生じます。

 

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近ければ引力も強いのですが、多くの場合、斥力は近づけば急激にパワーを増し、引力を凌駕します。

従って、引力と斥力のバランスを考慮すると、人の重力圏は下のような輪っかになります。

 

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つまり、あなたが意見を言ったり、行動をしたりする時、ちょうど良い価値観距離の人はあなたに親近感を覚えますが、それと同時に近すぎる人や遠い人には拒否されるか無視されることになります。

 

さて、ここで大事なのは、重力や斥力の強さは実は容易に変動するということです。

 

例えばあなたが人の意見に聞く耳を持たなかったり、人の意見に影響されすぎる場合を考えてもらえばわかると思いますが、前者が斥力が強い状態、後者が重力が強い状態となります。

 

 

■バラバラ社会、ブラックホール社会

もし、斥力が強すぎる社会が存在するとすれば、どうなるでしょう。

そりゃ、みんな近寄らず、個人個人でバラバラになってしまいますよね。

それが、バラバラ社会です。

 

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このバラバラ状態は、個人主義などと言われますが、それが過ぎると家族さえバラバラになって、絆はすべて失われます。

当然ですが、こんな社会はすぐに滅亡します。

 

 

では、重力が強すぎる社会が存在するとすれば、どうなるでしょう。

そりゃもう、みんながどんどん集まっていって、しかも集まれば集まるほどまた重力が強くなるんですから、みんな一緒くたになります。

それが、ブラックホール社会です。

 

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このブラックホール状態は、全体主義などと言われますが、それが過ぎるともう単一価値観になって、個人は誰も区別ができなくなります。

当然ですが、こんな社会はすぐに滅亡します。

 

 

■「自由」の名にかけて

ですから、結局のところ、社会の命運は、この重力と斥力のバランスにかかっています。

 

人が偏った分布をした時点で自然に重力は発生します。

ですが、実は黙っていると、行動しないと、斥力は発生しにくくなります。

 

あなたが、自身の価値観に基いて意見を主張したり、何かを表現したり、行動したりしないと重力が強くなるのです。斥力が出なくなるのです。

 

ですから、社会がおかしいと思うなら、重力が偏ってると思うなら、まずあなたが発言しなくてはなりません。斥力を発生させないといけません。

 

ちなみに、あまり知られてないですが、この斥力は「自由」と呼ばれています。

 

私はよく自分のことを「天の邪鬼」と表現しますが、つまりそれは、今の世の中では自由主義者であることと同義なのでしょう。

 

 

 

社会価値観の変遷について

さて、重力について説明したところで、ではなぜ、現在社会が「実」に寄っていると私が推定しているかをお話します。

それには、世界の歴史を振り返ることが必要です(といっても、欧米~日本の資本主義社会メインの視点です)。

 

■原初宇宙

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まず原初宇宙は、無から始まりますが、そんな無から宇宙が生じたのはどうしてかは正確なところは分かっていません。一応「無のゆらぎ」なることが起きて、うまいこと物質が登場したとされています。

宇宙はそんな初めて実態を持った「物」から始まりますが、観測者がどこにもいないので、「実」の隅っこで長年静かにしていました。

 

 

■生命の誕生

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しかし、奇跡が起きます。

生命の誕生です。

これで初めて、本能と呼ばれる要素が宇宙に生じました。

美(感覚)実(肉体)の2要素で動く世界の登場です。

生命たちは仲間を愛する母性本能や、敵を排除する闘争本能などに基づき、荒々しい自然を築き上げていきます。

 

 

■人類の誕生

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さらに奇跡は続きます。

理(知性)を持った人類の登場で、世界は3要素になります。

自ら考え、創意工夫をする人類は自然の中で一歩抜きでた存在となり、その栄光の一歩を歩み始めたのです。

 

 

■農業の誕生

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長い狩猟・採集生活を経て、人類は農業を発明します。

安定した食糧が供給されるようになり、人類はみんなで同じこと(自然との生存競争)に明け暮れる必要がなくなります。

なら、それぞれで得意分野を伸ばした方がいいだろう、好きな事をした方がいいだろう、そして、生まれたのが専門分化です。

物を作る人、世界を研究する人、歌を歌う人、様々な人たちが生まれ、社会は多様になっていきました。

これは同時に人は多様でもいいという「自由」の概念の登場でもあります。

 

 

■暗黒時代

 

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しかし、農業で自由が生じたのも束の間、農業で蓄えられるようになった「富」の奪い合いで、人同士での国同士での生存競争が頻発します。

権力者は国を強くするため、支配を強めるため、自分を神格化する手法を編み出します。また、それは厳しい弱肉強食の世界に疲れ、誰か絶対の者に身を委ねたいとした、民衆の想いとも一致しました。

結果、専制政治や宗教支配が長く続き、その価値観に従わない者は断罪される社会が生じます。みんな一緒の価値観を求める――すなわち自由の無い管理社会です。

国によって、宗教によって、その拘束性は様々でしたが、特にヨーロッパ社会では、これを「暗黒時代」と、自由が無かった時代を表現しました(つまり、これは「自由」好きからの一方的な評価とも言えます)。

 

 

■ルネサンス

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そんな暗黒時代の禁欲の鬱憤がたまったのか、自由社会が急に花開きます。

それが、ルネサンスおよび科学革命の時代です。

本能の赴くまま美術や工芸を盛んにし、また様々な議論・紛争を経て、絶対のルール、支配者であった宗教も科学に道を譲ります。

すべてを兼ね備えたレオナルド・ダ・ヴィンチなどの天才が多数生まれたのもこの時代です。

 

 

■産業革命

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そして、科学の隆盛と相まって、産業革命が起こります。

人類は今までに無い莫大な生産力を抱えるようになり、大量の製品が作られ、そして消費されていきました。

「もっと豊かに、もっと便利に」

この合言葉のもと、工業に、ビジネスに人類は邁進していきます。

勢い余って、2度の大きな世界大戦まで引き起こしますが、それでもまだまだ社会は「ものづくり」に注力を続けていきました。

 

 
■現代社会

そして時は現代に至り、莫大な物と富で、豊かになったはずの私たちの社会ですが、何故か閉塞感がないでしょうか。

日本のお家芸であったはずの「ものづくり」は陰を潜め、中国などの新参に怯える毎日です。

「もっと生産性を上げろ」の掛け声も、何故か虚しく響くことがあります。

 

なぜでしょう。

 

豊かになったはずなのに、何故辛いのでしょう。

 

それは、私たちはもはや耐え難いほど「実」に密集しすぎているからです。

 

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社会は私たちに叫びます。

「もっと社会に役立つ人間になりなさい」

と。

そんな重力を発します。

 

しかし、同時に私たちの中の「自由」の価値観が囁くのです。

「社会の歯車になるなんて嫌だ」

と。

 

この「個人の価値観」と「社会の価値観」がズレが大きくなってきたのが、現在の状況なんだと私は思います。

「実用的な情報」や「ビジネス書」のニーズが高い一方で、学問の探求や、想像・創作・芸術・安らぎなどを求める人も多いと感じませんか?

 

そう、そんな学者や芸術家への憧れは、社会にひしめく実用主義への閉塞感への拒否反応なんです。

 

だから、ブラック会社に異を唱える、「脱社畜ブログ」さんが求められたり、現実を忘れられるアニメや漫画が人気を博したりするのです。

 

 

私たちは尋ねられています。

私たちは「自由」であるべきか、否か。

 

これは、三角形のどこに居ようとも関係の無い共通の命題になるのです。

 

あなたのご回答はいかがでしょうか。

 

 

だから、意見を主張しよう。

長らくお疲れ様でした。

後は、まとめに入ります。

 

今、「自由」を求める声が多く聞こえてくるのは、皮肉なことにそれに敵対視されている「実用主義」の産物なんだと思います。

 

その産物とは「携帯電話」、「インターネット」などのITインフラです。

 

昔はどんなに大声で発言しても、その声が届く人はほんのわずかでした。

そんな微力な個人の声なんて、社会という巨大な重力場の前には誤差でしかありませんでした。

 

でも、今は違います。

 

個人であっても、大変な数の人に声を届けることができます、意見を主張することができます。

写真をUPすることも、動画を見せることも、歌を聞かせることだってできます。

 

そのパワーは凄まじく、長らく社会を牛耳ってきたテレビや新聞などのマスメディアを脅やかす勢いです。

 

つまり、個人が個人として社会に立ち向かえるようになったということです。

あんなに強大な重力場に対抗できるようになったということです。

 

確かに相手は強大ですが、同時にその中にも数多くの人がひしめき合っていて、正直言ってその閉塞感から脱出したい人も多いはずです。

 

その人たちに声を届けることができれば、その人たちに「同意」や「共感」を覚えさせることができれば、彼ら自身の斥力と合わさったその引力の破壊力たるや凄まじいものになるでしょう。

 

 

だから、私は叫び続けます。

 

 

だから、意見を主張しようと。

 

 

あなたが、あなた自身として、この世界の中で、どう考えているのか、どう感じているのか。

 

 

是非、私に教えてください。

 

 

あ、でも、私からはもうこんなに言ったから、とりあえずは許してね?(笑)

 

 

 【fin.】

 

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おまけ

■各社会の重心

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独断と偏見ではこんな感じです(各国の人、怒らないで・・・)。

それにしても、夢と魔法の王国の存在感!(笑)

 

 

■ちきりんさんの三角形との違いについて

で、この話を聞いて、ちきりんさんの三角形との関係がどうなってるか気になる方もいるかもしれません。

一言で言えば、どっちでも好きな方でいいです。

ちきりんさんと私の三角形は切り口が違うだけで、結局同じことをしようとしているからです。

 

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ほらね、多少私と使う言葉が違うだけで、結局、一緒でしょう?(※三角形の大きさの違いは便宜上なだけで、意味はありません)

 

もし、あなたが私の切り口も、ちきりんさんの切り口もしっくり来なかったら、もう自由に決めてみたらいいのです。

3元論で語る以上は、どう三角形を回しても同じ話になるはずです。

お気に召すまま!

 

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■劣等感にさいなまれる人へ

結局のところ、自分の価値軸に自分の能力が見合わなければ、劣等感に苦しむことになります。

この劣等感というのは、本当に辛いものです。

 

だからこそ、私は思うのですが、「劣等感にさいなまれてる人」は三角形の中心部に居ることが多いのだろうと思います。

つまり、どの価値観も取り込んでしまうからこそ、誰を見ても自分が劣っているように感じてしまうのではないでしょうか。

 

この劣等感は、特にまだ自分に能力がなく、その上、数多くの価値軸に目を奪われてしまい軸が定まってない、思春期~青年期にかけての壁なんだと思います。

その結果、「自分探し」と称して旅に出てみたり、様々なことに挑戦してみたりしますが、それも上手くいかず、多くの人は3隅の「俺は正しい」「僕は社会の役に立っている」「私はセンスがある」のどれかに逃げ込むことになります。

自分の中で一番マシな能力の軸に合わせることで、劣等感を避け、優越感を得ようとします。

 

だから、中間や中央の人は少なくなってしまうのです。

天才でもなければ、中央に居て、いつでも自信を保つのは非常に難しいはずですから。

 

でも、私は思います。

「劣等感」を感じるということは、これも一つの能力なのではと。

なぜって、これは「多くの価値観を認めること」だったり、「よく他人を褒められること」でもあるからです。

芸術家、学者、実業家、どれもそれぞれに集団形成していて、なかなか3隅の重力圏は強固ですから、一度自分の人生の価値の軸を一つに定めてしまうと、もう多軸に戻ることは困難です。

 

前回の記事でも述べた通り、いくらインターネットが発達していても、心の距離が遠すぎると話は伝わりません。

すると、「実」の人は「理」や「美」の人の話を聞くことはあまりないでしょう。

 

だから、大事なのが、中央に居る人の存在です。

先ほどの図を思い出してもらえば分かる通り、「実用主義」に陥った社会に対抗できるちょうどいい位置にいるのは「中央」の人たちです。

彼らが一番社会を動かせる位置にいるのです。

 

しかし、残念ながら上のような理由で、ここの人口は不足しています。

 

だから、もしあなたが劣等感にさいなまれているのなら、「何をやっても中途半端」と残念に思っているなら、その多軸価値観を大事にして欲しいんです。

何とも嫌な劣等感ですけれど、大事にして欲しいんです。

 

そんなあなたを、社会を成り立たせるのに、重要だと考えている人や、その姿に誇りや共感を覚える人もここに居るのですから。

 

それにしても、多軸価値観というのは、実は生まれた時に誰しも持っている能力なのですが、学校や社会で揉まれるうちに、みんな「大人」になってしまうんですよね。

残念です。

 

 

■レッテル貼りの禁止

一応、補足しておきますが、この3原色分類で、誰かについてレッテル貼りをしてはいけません。

各ゾーンなどで色んな具体例を私は提示しましたが、あれはあくまで話を分かりやすくするためでしかありません。

上の各国の分類もあくまで「重心」ですから、個人個人を決めつけてどうこう言うものではありません。

 

というより、そもそもレッテル貼りできないはずなんです。

例えば学者さんをしていても、芸術家のような価値観を持っている人がいてもいいですし、ビジネスマンをしていても、科学の話が好きな人だっていますから。

それに、血液型占いのように、生来決まっているものでもなく、人に意見を言ったり、聞いたりしているうちにどんどん揺れ動くものです。

そんなに変動するもので、レッテルを貼ってもしょうがないですよね?

 

 

■実力と価値観は異なるということ

 ちなみに、三角形はあくまで価値観の比率についてですので、実力と連動するものではありません。

例えば[美90%、実5%、理5%]の価値観の方がいて、[美5%、実90%、理5%]の価値観の方に「実」の能力で劣るかというと別の話です。

[美90%、実5%、理5%]の価値観だったとしても、能力的には[10000,8000,9000]などでもいいのですから。

[美5%、実90%、理5%]の価値観だったとしても、能力的には[100,200,100]でもいいのですから。

「3要素といっても、全部の能力を持ってる人も居るよ」と言うのは、また違う話になります。ご注意下さい。

 

 

「理」派の方々へ

最初の分類や現実社会へ辻褄を合わせた仮定は、どうも気に食わなかったかもしれません。

でも、実はどんな公理も最初は直感や現実からの逆算で仮定しますよね。

だから、前提はひとまず置いておいて、色んな理屈を見て欲しいです。

一応、筋通ってますよね?

もし、矛盾点があれば是非教えて下さい!

 

 

「実」派の方々へ

これが何の役に立つのか疑問かもしれません。

ですが、文中でも提示した通り、単純な「ものつくり」は限界を向かえているのではないでしょうか。

製品に様々な「付加価値」を見出そうと奮闘している人も多いと思います。

しかし、その「付加価値」こそ、実は忘れられてきた「理」「美」なのではないでしょうか。

今をときめくアップルの成功は、その製品に未来を感じさせる「理」や、洗練されたデザインの「美」があったからではないでしょうか。

「未来を予感させる機能美」こそ、誰しもが求める夢の製品です。

それをこの話で確認できれば、きっとビジネスチャンスにもつながるのではないかと私は思います。

 

 

「美」派の方々へ

理屈が多い、文章が長いとお怒りかもしれません。

ですが、がんばって多くのイラストを載せたつもりです。

多少は直感的に分かるのではないかなと思います。

そして何より、三角形で人も社会も世界も表現できるって、何ともカッコよくないですか?

 

もし「なんかちょっと違うな」って感じるところがあれば、是非教えて下さいね。

 

 

■批判した時、批判された時こそ、自分の視点を見つめるチャンス

何だか腹の立つ意見を聞いた時、あるいは腹が立つと批判をされた時。

そういう時が一番自分の視点が分かる瞬間です。

きっと、自分が持っていない軸で話している人の意見だから腹が立つのです。

だから、批判した時、批判された時、はお互いに自分の視点を見つめるチャンスです。

人間なかなか主観が取れないからこそ、こういう時に、少しでも客観的になってみたいですね。

 

 

 

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 天才ダ・ヴィンチに

 

 

 

P.S.

大長編ですね。。。

もうほんとすみません(;´Д`)

連載も考えたのですが、逆に流れが悪くなるので一気にいきました。

 

ほんとにこれ全部読む人いるんやろか・・・。

 

もし、こんな駄文にお付き合いいただき、読んでくださった方いらっしゃったら、ほんと申し訳ありません、そしてありがとうございます。

これで、あなたの中の何かが変われば、それが私の幸福に他なりません。