雪見、月見、花見。

ぼーっと考えたことを書いています。

異論を見たら、まず答え合わせ

【Diary】異論の持つ力 - Sakak's Gadget Blogの記事に触発されまして。

 

このたび、相変わらずの悪い癖で、人様のブログコメント欄でウニャウニャと語ってしまったのですけれど、「異論」を排除しようとする人たちが多いというのがやっぱり気になるんです。(・・・というより、私自身も多分ついついやっているところがありそうなので、ほんと注意しないといけないなと思うところ)

 

「異論」という存在の大事さはid:keisuke9498さんの元記事を読んで頂いたらと思うのですけれど、ほんと新しい視点を持ったり想像力を広げたりしてくれる宝の山なんですよね。これを排除するなんてとってももったいないことです。

 

確かに自分と同意見の人がいれば、すごく嬉しいし、ホッと出来ます。だから同論というのもそれはそれで、すごく大事だと思います。

対して、異論を聞くと、やっぱりちょっと「ムッ」としてしまいますよね。自分を否定されたような気がしてしまって、きっと生き物としての本能的にその深淵に「敵」を見て身構えてしまうのでしょう。

本当に自分を攻撃するために「異論」を唱える人も一部いるでしょう。でも、冷静に見たら「敵」でもなんでもないことがほとんどではないでしょうか。彼/彼女もあなたと同じように、自分の意見をただ言ってみただけで、あなたや他の誰かを傷つけようと思ってるわけでもない、そんなことがほとんどのはずです。それもそうで、これだけ多くの人が世の中には居るのですから、意見が違うことがあっても当然なんです。

そして、こういう時、同論と同じぐらい異論も大事なんだと私は思うのです。

 

  ◆

 

そうですね、異論を排除するということが、どれだけ変なことか、次のような状況を考えてみましょう。

電卓を使って次のような計算をしてみて下さい。

1+2×3-4=

というお題があったとします。

 

どうでしょう、みなさんのお答えはいかがでしょうか。

 

答えはですか?

それともでした?

 

多分、答えが3だった人からすると、「5とかどういうこと?」と思うかもしれません。

答えが5だった人も「3ねぇ・・・」とちょっと斜に構えて見てしまうことでしょう。

 

もし、あなたが友人や家族など信頼できる人同士でこんな計算結果が違ったらどうするでしょう。

 

「5なんか違うに決まってる!答えは3!算数分かってる!?」

「絶対5が正解、3の人は頭悪いなあ!」

 

などと罵り合ったりするでしょうか?

しませんよね。

きっとまず、最初にやることは答え合わせ作業だと思うんです。お互いに「え、いったいどんな計算したの?」って確認すると思うんです。

 

多分、答え合わせの結果、3の人は「2×3」のところを先に処理して計算していて、5の人は「1+2」の頭から順に計算していることが分かるはずです。

3の人はきっと聞くでしょう。「掛け算の所から計算しないとダメなんじゃない?」って。

でも5の人は答えます。「そんなこと知ってるよ。でも、電卓で次のように、っていう問題なんだから、素直に順番に打てってことじゃない?」

 

そうなんです。この回答の違いは、ただ前提が違うだけなんですよね。

3の人は「一般的な数式として計算する問題」という前提を持っていて、

5の人は「電卓で書いてある通りに打ち込む問題」という前提を持っていると。

 

そして、私はどっちも正解だと思うんですよ。だって、問題に「どっちの前提で解く問題か」はっきり書いてないんですから。解釈が人によって違って当然だと思うんです。

強いて言えば、「一般的な数式として計算する問題なら3,電卓で書いてある通りに打ち込む問題なら5」というのが解答でしょうか。

 

 

さて、異論が出る時というのは、案外こういう前提が異なってるということが多いのだと思います。前提が異なるというのはすなわち視点が違うということです。そして、この問題と同じように、「どっちの視点が正しいか」ということはだいたい決まってないものなのです。

だからこそ、異論が出た時に、こんな風にお互いに「どういう風に考えた結論なの?」って答え合わせができるかどうかが大事なんです。答え合わせをして、計算方法や前提を見せ合いっこすれば、案外「なるほど、そういうことね!」と違う視点に直に触れることができるんです。

もちろん、違う視点に触れ合ったとしても、自分の視点を必ずしも変えないといけないということではありません。

「電卓で順番にって考えかぁ、なるほどねー。でも私はやっぱり数式のルールで答えを出したいな!」って言ってもいいのです。

ただ、「場合によっては答えが5でもいいかもしれないなあ」とも同時に思うはずです。自分と違う視点に触れられたということで、5という答えを排除しようなんて思わなくなるはずです。

だから、異論を見たら、「まず排除!」ではなくて、「まず答え合わせ!」なんですよ。

 

   ◆

 

計算問題なんかより、複雑な問題や議題は世の中にいっぱいです。

これらの問題では計算問題と違ってお互いの思考を追いにくいのは確かです。答え合わせ作業も、きっと大変です。

だからといって、「◯◯って主張する人はバカ」とか「△△という主張する人はクズ」とか結論だけ見て異論を排除してしまうのは、やっぱりもったいないことなんです。

 

えっ、それどう計算したの?問題をどう解釈したの?

 

異論に対しても、こんな風に答え合わせを意識する、それだけできっと私たちの世界は広がっていくのです。

 

 

 

 

P.S.

小学校の算数の式で掛け算の順番が違うと間違いみたいなルールがあって、議論になっています(参考)。このルール自体の是非は置いておいても、そんな風に答えだけ見ずに「どういう考えでその答えに至ったのか」ということを大事にしないといけないのは、大人になってからもきっとそうなんですよー。

 

ちなみに、過去にも今回と同じようなテーマで書いています。懐かしいです!

自分を批判する人になろう - 雪見、月見、花見。