雪見、月見、花見。

ぼーっと考えたことを書いています。

第三次世界大戦は既に始まってるのかも ~産業と戦争の関係と歴史~

 

前二回に渡って「労働豊作貧乏」についてのお話をしてきました。まだこの問題についての議論の続きはたんまりあるのですけれど、今回はちょっと脱線です。

前回、文中で「第二次世界大戦は工業の戦争でした」と、サラリと述べましたのですが、この「産業と戦争の関係の歴史」というテーマ、実は非常に興味深いところなんです。是非、皆さんとも一緒に共有したいので、コラム的にちょっと見て行きたいと思います。

 

前回までの「労働豊作貧乏」シリーズ記事

過労死するほど仕事があって、自殺するほど仕事が無い - 雪見、月見、花見。

今、社会が労働豊作貧乏時代になっているワケ - 雪見、月見、花見。

 

 

・・・ということで、またタイムスリップの準備をお願いします!(えーっ)

 

 

 


*農業の戦争


戦争を「人と人とが争うもの」と定義すると、最初の戦争は「農業の戦争」として始まります(ですから、狩猟時代は人と動物の戦争とも言えます)。

前回見た通り、農業が発明されて食糧生産は安定するようになりました。しかし、それは「狩猟と比べれば」と言ったところで、ちょっと日照りがしたり洪水が起きたりと、気候が乱れればあっという間に不作で食糧危機となりました。

食糧が無くなれば当然命の危険が生じます。狩猟時代であれば、なんとかしてそれでも狩りに行くしか手はありませんでしたが、農業時代では恐ろしい発想が生じます。

 

このまま餓死するぐらいなら、隣の村の食糧を奪おう

 

農業時代になって、各集落は備蓄食糧を蓄えるようになりました。だから、自分の村で食糧が足りなくても、他所の分も計算に入れると、食糧は「無いわけではない」のです。・・・もちろん、奪われる側の村の人たちの必要分は計算に入れないという前提ですが。

戦争という恐ろしい選択肢を初めて手にしてしまった、この頃の人たちを野蛮だと非難することは簡単です。しかし、自分と苦楽を共にしてきた愛する家族や仲間たちが飢えに苦しみ、命を失いかねないという状況を目の当たりにすれば、「愛する人たちのために」と立ち上がる気持ちは仕方ないものではないでしょうか。ワガママと言われても野蛮と言われても非道と言われても、人はやっぱり愛する者たちを救いたいものなのです。(参考記事「愛で戦争はなくならない」)

 

ともかく、こうして人類における戦争の歴史が始まります。

食糧を争う農業の戦争であった証拠に、この頃の戦争は「領地」を奪い合います。耕作面積が多い方がより多く食糧を生産できるという単純な算段です。

そしてまた戦争の勝敗を分けるものも食糧でした。

鉄器や車輪の発明など工業の要素が勝敗を分けた事例もあるにはあるのですが、基本的にこの頃の戦争の戦力の計算方法は「兵の人数(兵力)」でした。近接武器が多く直接のぶつかり合いを主とした当時の戦闘では人数が多い方が単純に非常に有利だったのです。そしてこの「兵力」を増やす、養うためには、当然「食糧」が必要というわけです。

ですから、「領地」を広げ、多くの「食糧」を生産し、多くの「兵士」を養うのが、古代~中世までにおける農業の戦争時代の「強い国家」の姿だったのです。

 

 


*工業の戦争


農業の戦争として長年続いた戦争の歴史ですが、近世あたりから少しずつ雰囲気が変わってきます。

時代の変わり目の象徴と言えるのが、ピサロインカ帝国の征服です。彼らは168名という少数の兵士で、何百万人もの国民を抱える帝国を征服してしまったのです。とんでもないことですね。

この征服をなしえた理由は色々な要素があるようですが、その一つに銃器などの武装の有無があったと言われています。つまり、「良い兵器」を抱えた工業的戦力が、「多くの兵」を抱えた農業的戦力に勝利した、そんな象徴的な事件であったのです。

 

産業革命以降急速に各国で発達した工業力は、原料やエネルギー資源を求め始め、そして各地でぶつかることになりました。もちろん、広げた領土を「植民地」と呼ぶぐらいでしたので食糧生産の意義も依然として重要ではありましたが、明らかに工業資源の重要性が増してきたのです。

例えば、第二次世界大戦でも、日本が開戦に踏み切ったのは石油資源を求めてというところがあります(もともとは連合国側に経済封鎖されたのですけれど)。最近のイラク戦争などでも背景には石油問題があるとされています。

時代が変わり、農業の戦争から工業の戦争になったことで、奪い合うものが「領地」から「資源」に変化してきたのです。

 

戦力の数え方も変わってきました。戦力を見る上で、兵力ももちろん大事ではありましたが、この工業の戦争の時代のあたりから、「戦艦何隻」「戦闘機何機」「戦車何台」など、兵器単位の戦力の数え方に変化してきます。工業の発展で兵器も大幅に進化してしまった結果、単純に人数が多いだけでは勝てず、より「良い兵器」を持っているかどうかが勝利の分かれ目となるようになってきたのでした。

ですから、「植民地」を広げ、多くの「資源」を獲得し、多くの「兵器」を作るのが、近世以降の工業の戦争時代の「強い国家」の姿だったのです。

 

 


*次の時代の戦争


基本的には私たちはまだそんな工業の戦争の時代の中に生きています。

ですが、前回、産業の変遷を振り返っていた時にお示しした通り、今は「工業」が没落してきている時代でもあります。

 

「ということは、もしかして、次の時代には戦争のカタチも変わっちゃうのかなぁ」

 

と、いつものように何気なくボーッと考えていたら、恐ろしいことに気がついたのです。

 

「第三次世界大戦は既に始まっているのかも!?」

 

・・・こう言うと、「そりゃシリアやイスラエルとかで戦争はしてるみたいだけど、さすがに世界大戦は起きてないよー」と思われるかもしれません。

でも、私が言っているのは「新しいカタチの戦争」です。今までの農業や工業の戦争とカタチが変わっているので、一見、気づきにくいんだと思うのです。

 

どんなカタチの戦争なのか理解するために、ここで前回のお話をもう一度振り返ってみましょう。「工業」が没落したあと伸びてきたのが「サービス業」でしたね。「工業」によるモノ作りの恩恵が頭打ちになってしまったので、余暇を楽しむための「サービス業」が発達したのでした。

 

そして、次に、戦争が始まる原因を確認しましょう。「食糧」が足りないから「農業の戦争」が生じます。「資源」が足りないから「工業の戦争」が生じます。

では「サービス業」でも足りなくなってしまったものは何だったでしょうか?

 

そうですね、「消費力」です。

 

だから、次の戦争は「消費力(消費者)」を奪い合う戦争なのです。

そして、実は既に私たちはこの戦争に巻き込まれているのです。

 

例えば、

 

 iphone vs android

 microsoft vs apple

 amazon vs 楽天

 mixi vs facebook

 mobage vs gree

 

などなど・・・。

 

なんとなく、ご存知な対立ばかりですよね。

 

これらはプラットフォーム戦略と呼ばれる企業戦略同士の消費者の抱え込み争いの構図です。

 

「プラットフォーム戦略」とは、コンテンツそのものではなく、まず場を提供することで、人やコンテンツを集めていく手法のことです。

例えば、windowsというOSが昔うまいこと普及しました。そうするとwindowsに対応するソフトばかりが作られますし、新しくパソコンを始める人も、みんなとデータのやり取りやソフトの扱いが一緒で便利なwinodowsを使い始めます。そうして、人が増えれば、ソフト会社もさらにまたwindows用のソフトを作り・・・また人が増え・・・と、連鎖的に人やコンテンツが増殖していきます。

今のiphoneandroid携帯の争いも同じです。使っている人が多い方が、アプリが充実し、アプリが充実すればまた人が増える・・・となります。まだ決着はついていませんが、これが「消費者」の奪い合いであることは明らかです。

そして、ご存知の通り、applegoogleやmicrosoftやamazonやsamsungは、今や押しも押されぬグローバル企業で、各々独自のプラットフォームを作り、世界中で消費者の奪い合いを始めています

 

これを第三次世界大戦と言わず何というのでしょう

 

こう言うと、

人が死なない戦争なんておかしい

そう言われるかもしれません。

 

ですが、今回の戦争では、生産力の戦争から消費力の戦争への転換という意味も含まれています。生産力の戦争の時代では、肝心の食糧や資源を食いつぶす人間は悲しいことに大事な存在ではありませんでした。しかし、消費力の戦争では違います。人こそが消費力の源なので、その人を殺してしまっては意味がありませんし、人を殺して嫌われてしまっては消費者になってもらえません。

有史以来続いた戦争という代物も、ついに本当に新しいカタチになってしまったのでした。

 

 

ですから、「プラットフォーム」を広げ、多くの「消費者」を獲得し、多くの「コンテンツ」を作るのが、今後のサービス業の戦争時代の「強い国家」・・・いえ、「強い企業」の姿になるのです。

主体がもはや国でなくなってしまったことも、今回の大きな変化と言えますね。

 

 

ただ、人が殺されないから優しい戦争だと思っていては危険です

 

御存知の通り、ソニーやパナソニック、シャープなど日本のモノ作りを支えてきた各種大手家電メーカーが軒並み大赤字をたたき出しています。そして、大幅なリストラが予定され始めています。この戦争の被害者は間違いなく出るのです

この戦争は消費者には優しいのですが、生命こそ直接とらずとも生産者にとっては非常に厳しい戦いなのです

 

そして、悲しいことに、私たち日本人はこの戦争の「戦利品」にはなっていますが、日本の企業がほとんど参戦できていないか、非常に劣勢に立たされているという事実があります。

なぜなのでしょう?

 

太平洋戦争の空母と戦闘機の時代に、日露戦争の名残の大艦巨砲主義で戦艦大和を作ってしまうなど、日本は性格的に時代の変化に弱いとされています

だから今回ももしかすると、前時代の戦略にこだわりすぎて負けているのではと私は思うのです。

 

 

お尋ねします。

 

日本は、これからのサービス業の戦争の時代に、工業の戦争で挑んでいないでしょうか?

 

 

それはそれで一つの戦い方ではあるのでしょう。

でも、日本がピサロの前のインカ帝国にならない保証は無いのです

 

 

「モノ作り」――それは高度成長期を支えた私たち日本人の誇りではありました。でも残念ながら、もうそれは時代遅れなのかもしれないのです。

 

 

 

参考記事

Now in the age of battleship "YAMATO" - nao_0515_kiの日記 @id:nao_0515_ki

あなたの会社の、『失敗の本質』を考えよう! - (チェコ好き)の日記@id:aniram-czech

 

 

P.S.

第一次世界大戦は毒ガスを使ったので「化学者たちの戦争」、第二次世界大戦は原子爆弾を使ったので、「物理学者たちの戦争」と呼ばれるそうです。

そして、次に来る第三次世界大戦はIT技術を使う「数学者たちの戦争」となるだろうと言われています。

今日の話を見ていると、本当かもしれませんね。。。

 

 

・・・さて、今回はここで終了です!

お疲れ様でした。

 

コラム的だったはずなのに長くないでしょうかという質問は禁止です・・(´・ω・`)マタヤッチャッタ