雪見、月見、花見。

ぼーっと考えたことを書いています。

自由には責任が伴う

「自由」についての議論の時に、

 

「自由には責任が伴う」

 

というフレーズが出ることがあります。

みなさんも、「権利には義務が伴う」とセットで、何となく耳に覚えのある言葉ではないでしょうか。

 

ただ、この「自由には責任が伴う」というフレーズ、けっこう誤解されているように思います。

 

例えば、このフレーズは「自由には責任が伴うのだから、たとえ自由だと言ってもああいうことやこういうことなど人に迷惑のかかることはやってはいけない」という文脈でよく使われがちです。

「人は自由という権利をもらう代わりに、道徳やルールを守るという義務があるんだ」というような意味ですね。

 

でも、これはおかしいんです。

 

だって、義務というのは「◯◯をしてはならない」あるいは「◯◯をしなさい」ということを意味するものです。

これらはまさしく「不自由」そのものです。

「◯◯をしてはならない」と言われたら「◯◯をする」という自由が無いですし、「◯◯をしなさい」と言われたら「◯◯以外をする」という自由が無いのですから。

 

ですから、「自由という権利をもらう代わりに、道徳やルールを守るという義務があるんだ」というのは「自由」を手に入れたら「不自由」が伴います、と言っているようなものなのです。

これだと、「自由」を持った瞬間に「不自由」になることが決められているのですから、そもそも「自由という権利」をもらえてないですよね?

「100円あげる」と言われた瞬間に「90円ひかれる」ことが決まっていたら、それは「100円もらった」のではなくて、やっぱり「10円もらった」だけに過ぎないのですから。

 

だから、「自由」にセットで「義務」がついてくるのは、そもそもおかしいんです。矛盾があるのです。

 

しかし、この論法で、もらってもない架空の「自由」のために「これをしろ、あれをするな」など「義務」ばかりが積み重なることが、世の中に多く見受けられます。

「自由」を愛する私にとって、これは非常に残念なことです。

 

 

こう言うと、

「あなたはそう言うけど、じゃあ責任って何なのさ?まさか、責任なんて無いって言うの?」

 

そう思われると思います。

 

もちろん自由には責任が伴います。

ですが、上で言われるのと違う意味での責任です。

 

「自由」をもらったならば、負うべき責任と言えば一つしかありません。

 

それは「自由」を守ることです。

 

もらったものを、感謝の意をこめて、大事にすること、それが唯一無二の責任だと私は思います。

 

私たちに不当な「義務」が降りかかろうとしているときに、それを甘受するのは、自由に対する「無責任」になります。

あるいは、誰かの「自由」が侵されようとしている時に、それを見て見ぬふりをするのは、それこそ自由に対する「無責任」なのです。

 

 

今でこそ「自由」は法律などでは「生まれながらの権利」と謳われてはいますが、私たちがそれを手にするための道のりは易しいものではありませんでした。

パラパラと適当に歴史の本を紐解くだけでも、私たちの先輩たちが「自由」を得るために、様々な戦いに身を投じ、多くの血と涙と汗や尊い犠牲が払われたことが分かります。

そんな努力の結晶を、私たちは「権利」としてもらっているのです。「生まれながら」という観点から言えば、そんな先人たちの努力のもとで「権利」を取り戻せたと言ってもいいでしょう。

ここにこそ、私たちが「責任」を感じるべき、いえ自然に感じざるを得ないところなのだと思います。

 

もし、あなたが丹精込めて作られた手作りのお菓子をもらったとして、本当にそれに感謝しているなら、それを一個一個大事に味わって食べると思います。決して、貰った途端にその中のいくつかをゴミ箱に投げ入れるようなことをすることはないはずです。

もちろん「もらったのだから自分の好きにしていいはず」ではあります。それも確かに「自由」です。

でも、だからといって、それを投げ捨てるのは、ただ単純にあなたがそれに感謝していないか、それが嫌いなだけです。「お菓子をもらったのだからいくつかは捨てるのは当然だ」という理屈にはならないのです。

お菓子をくれた人がどういう想いであったか、それを汲み取ることが、もらったものが見せるべき誠意、そう思います。

 

 

つまり、もらったものを大事にすること――これはただそれだけの話なんです。

 

 

だから、「自由」をもらったならば、そして、自分をその「自由」の徒として自覚しているならば、自然にその「自由」を守る責任感が生じてくる。

「自由には責任が伴う」という言葉はこういう意味だと私は思います。

 

 

従って、「自由」に対する責任を果たしていないのは、よく言われるように、「◯◯をしなさい」「◯◯をしてはならない」という義務にとらわれない「自由人」たちの方ではありません。

「自由には責任が伴う」のお題目を悪用して「◯◯をしなさい」「◯◯をしてはならない」とのたまう方々の方こそ、「自由」に対して「無責任」な人たちなのです。

 

 

私は「自由」が好きだし大事に思っています。

だから、その「自由」を与えて下さった先人の方々に深く感謝しています。

そして、その「責任」の重みを感じているからこそ、このことについて言わせていただきました。

 

ただ、「自由」を守るために。

 

 

 

ご清聴ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

P.S.

じゃあ「法律」ってなんなの?守らなきゃいけないよね?それ無視して「自由」にしていいの?

というような話は、また別の話になってしまってややこしいので省いています。すみませんです(/ω\)

あくまで「自由」と「義務的な意味での責任」はセット商品じゃないよね、というお話です。