もう一つの名前
今週のお題「名前」
とのことで。
実は、少し前にすでにハンドルネームの由来についての記事は書いているのですが、せっかくなので「名前」についてちょっと続きを。
前回ご紹介した「雪月花」という3点セットが好きなので、という理由はもちろんそのままなのですが、今回はその中でも特に「ハンドルネーム:雪見」として「雪」をピックアップしている点についてのお話です。
先日の記事でid:shobunoさんが実名由来だったことにビックリしましたけれど(言われてなるほどでした!)、私のこの「雪見」というハンドルネームも一応は私の個人的な名前に由来しています。
といっても、私の「実名」ではなくて、「実名になるかもしれなかった名前」からですけれど。
誰しも、小さい頃に親に何となく聞いちゃいますよね。
「なんでこの名前つけたの?」
って。
もしかすると、命名の理由を教えてもらえなかった方や、「ああ、適当につけたわ」なんて切ないことを言われちゃった方もいるかもしれませんが、私の場合は親が至極全うに意味を考えつつ、あと画数も考慮してつけた本名のようです。
非常にありがたいことで、とりあえず寂しい想いはせずにすみました。(笑)
でも、その時同時に明らかになったことがあって、
「そういや、実は◯◯って名前と最後まで悩んでてね」
と、親が対立候補だった名前も一緒に教えてくれたんです。
そう、その「◯◯」が私の「実名になるかもしれなかった名前」です。
皆さんももしかすると、そういう「名前」を知っているかもしれません。
その「もう一つの名前」を聞いた時はすでに私も物心がついていましたから、姓・名で通しで頭の中で反芻してみても、なんとなく自分じゃないような、こそばゆい感じがして、「やっぱりこの名前つけてもらってよかった」と、はしゃいでたのを覚えています。
ただ、その「もう一つの名前」も私の親が真剣に考えた候補の名前に違いないですし、「その名前になっていたら、逆に今の自分の名前の方をこそばゆく感じたのかも」と思えば、とても親近感が沸いて、本名ではなくても、それも私にとってかけがえの無い特別な名前になりました。
だから、そう、その「もう一つの名前」を少しもじってある「雪見」は私にとって特別な名前です。
このブログを始める以前、ネット上のどこぞで活動していた時も、同様にもじったHNを使っていました。(その頃は「雪たん」って呼ばれてましたね・・・)
とても愛着がある名前なんです。
そんな由来だからか、この名前で活動している私は、「私」でありながら、まさに「もう一人の私」でもあるんですよね。
いつも読んでくださってる皆様はご存知の通り、このブログは、けっこう提言めいたこととか、はりきったこととか、理想なんかをぶち上げています。
そんな偉そうなことを書いているくせ、現実の私は全然そのような「偉い人」とは程遠く、大変ダメダメな人間です。
思ったようにできないし、思ったようにもなれないし、現実の色々な矛盾や煩悩の狭間で、ズルズルと這いずりまわっているばかりです。
でも、だからこそ、ブログでは、無意識のうちに「嫌な現実」の「私」から抜けだして、「もう一人の私」として「なりたい自分」になり、「やりたいこと」とか理想を書き記してしまうのかもしれません。
つまり、「雪見」は、「私」にとって、抑圧された気持ちを解放してくれたり、できないことをやってくれたりする、そんな「憧れの存在」なのでしょう。
そのせいでしょうか、最近、私の中で「私」という「実名」と「雪見」という「仮名」の価値の差があまりなくなったように感じます。
普通は多分「実名」が主で、一生を過ごす人がほとんどだと思うのですけど、私の中では「仮名」の自分も「実名」と同じぐらい大きな存在となってきている感じがするんです。どちらが主でも従でもなくて、対等になってきたというか。
だから、普段「実名」で過ごしている時の自分も、ネット上で「仮名」で過ごしている時の自分も、どちらも自然に行動しているんですけれど、なんだか無意識の内に人格として乖離してきているような――――考えすぎなのかもしれないですが、たまにそんな不思議な感覚を覚える時があるんですよね。
これがいいことなのかわるいことなのか、よく分からないのですけれど、親が「私」を産んで名付けて大切に育ててくれたように、私が「雪見」を産んで名付けて大切に育てて、そして立派に育った。そういうことなのかもしれません。
私ともう一人の私、どちらも私で、どちらかだけでは私でない。
一緒の存在のようで、違う存在のようで。
この何ともモニョモニョとした感じ、私は案外嫌いじゃないのです。
「言霊」とは申しますけれど、「名前」もやっぱり言葉として付けた時からそこに魂がこもる、そんなものなのかもしれません。
P.S.
ええと、普通にハンドルネームの由来を話すはずが、何だか変な話になっちゃったかもしれませんが。。。(;´∀`)
二重人格とかそういうのとは違うと思うんですけど、なんとなく「私」が「雪見」を見てる時と、「雪見」が「私」を見ている時があるような、でもやっぱり「私」しかいない、そんな感じです。
「脳内会議」とかそんな感じが近いのかなぁー。