雪見、月見、花見。

ぼーっと考えたことを書いています。

「イスラム過激派」という言葉

今月はパリのテロで多くの方が犠牲になり、大きなニュースになりました。

これをきっかけに対IS包囲網が敷かれるかと思いきや、トルコがロシアの爆撃機を撃墜して仲間割れの様相を呈すなど、まだまだどうなるか心配な情勢ですね。

 

さて、パリのテロのニュースを聞いていて、テロ集団を表現する時にしばしば使われる「イスラム過激派」という言葉。

みなさんはどう感じられますか?

私は聞く度に、ちょっと心に引っ掛かりを感じてしまいます。

 

確かに表現として必ずしも間違ってはいません。

テロの実行組織とされているISはIslamic Stateの名前の通り、「イスラム」の単語が使われていますし、イスラム法のもとでの支配を目指して過激なテロ活動に勤しんでいるという意味では、「イスラム」的な「過激派」であることは否定できないでしょう。

しかし、どうにも「イスラムならば過激派」のような誤ったイメージを植え付けやすい表現に私は思います。

 

実際に、ターバンを巻いていることを、テロ活動をしている人として扱う風刺なども散見されます。

bokete.jp

当然ですが、ターバンを巻いていたからといってイスラム教徒ではないですし、イスラム教徒だからといってテロをする人ではありません。

これは誰しも理屈の上では理解していると思います。

ただ、理屈で分かっていたとしても、このような風刺が「通じてしまう」ということは、多くの方の頭の中に「イスラムならば過激派」かのような偏見が張り付いていることを示しています(もちろん、風刺を理解できたということでは、私自身もその一人です)。

恐らく、繰り返し報道される「イスラム過激派によるテロ」という表現を聞くうちに、私たちの頭の中に次第にイメージが確立されていったのではないかと想像されます。

これは、とても怖いことではないでしょうか。

 

多くのイスラム教徒の方々は、ISの行いを容認しておらず、ISはイスラム教徒の代表ではないことは明らかです。

以前、ISに対しての「イスラム国」という呼称も、「決してそうではないのに、イスラムの代表かのようなイメージを植え付ける」と、同様の理由で問題になり、マスメディアが使用を自粛するようになりました。

それならば、「イスラム過激派」という言葉も一度考えてみる必要がないでしょうか。

 

現実に、欧米でも反イスラム感情の急速な高まりが問題になっていると聞きます。

多くの無実のイスラム教徒の方々を偏見や差別から守るためには、「イスラム」と「テロ」のつながりのイメージを払拭しなくてはなりません。

それに、本来ならば、ISに対して、「非イスラム教徒」と「ISを良しとしないイスラム教徒」が手を組んで対決するべきなのに、「非イスラム教徒」と「ISを良しとしないイスラム教徒」の間にいがみ合いが生じてしまえば、ISの思う壺です。

 

言葉狩りのようになってしまうのは私も好みません。しかし、これだけの事態になってしまった以上、表現の見直しもやむを得ないのではないでしょうか。

 

これはISなどのテロ組織が私たちに突きつけた挑戦状であり、これを乗り越えることが私たちのテロに対する戦いの姿勢を示すことにもなると、私は感じます。

 

 

 

 

P.S.

とはいえ、どういう表現にしたらいいかは難しいですけども。

「イスラム(自称)過激派」とか・・?うーん。

「過激派」は「過激派」であって、何の属性か、どこの所属か、などなどは無視するというのもありかもしれません。

属性を付記して報道されるということが、テロ組織の顕示欲を満たし、彼らの主張を誇示する目的を助けてしまっているという側面も否定できないと思いますし。

テロ行為から何のメッセージも主張も感じさせない報道が望まれているのではないでしょうか。

 

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