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雪見、月見、花見。

ぼーっと考えたことを書いています。

女性活躍推進政策から見る「合理的な差別」と「逆差別」の根深い問題

労働 社会

最近、政府は女性活躍推進政策を前面に押し出してますね。

 

女性の活躍促進 | 内閣府男女共同参画局

 

2020年までに女性管理職の割合を30%まで増加させるという数値目標の達成に向け、企業に女性活用を促す女性活躍推進法案の策定も図っているようです。

 

なかなかこの数値目標というのは議論が絶えないナーバスなテーマで、今回もやはり批判意見がちょこちょこ聞かれます。

 

女性活躍促進は「逆差別」?

批判の中で代表的なものが「逆差別」批判です。

 

女性管理職の数値目標を決めてしまうと、能力が高い男性とそれより能力が劣る女性が候補に居た場合に、目標達成のため能力が劣るにも関わらず女性が登用されるケースが出現しえます。これは実態は男性であるがゆえに昇進のチャンスを奪われるという「逆差別」ではないかと彼らは主張します。

 

つまり、結果の数値目標を定めてしまうと、どうしても能力に応じた自由な競争が阻害され、不平等になってしまうというわけです。

特に今回の政策に関しては、「女性活躍推進」と女性のみを優遇する印象が強い名称となっているので、こういう批判が起こりやすいかもしれません。

 

実のところ私も、このように数値目標を課し女性登用を促すという戦略は、競争の不平等感が拭えず、正直あまり好きではありません。

何と言いますか、ちょっとあまり美しくない、エレガントでない手法の感じが否めないんですよ。

 

ただ、この強引な手法が必要になってしまった致し方ない理由も分からなくはありません。

 

その訳というのが、「合理的な差別」――すなわち、統計的差別――という非常に根深い問題の存在です。

 

「合理的な」統計的差別

例えば、能力が高いAさんと能力が少し劣るBさんが居た場合、能力が高いAさんの方を登用するのが理にかなっています。つまり、合理的です。

ここで、能力というのはAさんやBさん個々に帰属するステータスです。この個人ステータスで比較するとAさん>BさんとなるのでAさんを選ぶわけです。

 

さて、しかし、ここで能力の高いAさんが女性で、能力の少し劣るBさんが男性であったとします。

先ほど述べたように個人として見ればAさんを素直に登用するのが合理的ではあるわけですが、問題は「男性」「女性」というカテゴリーそのものに帰属するステータスです。

この時、今までの統計上あるいは経験上、「女性」は早期離職率が高いこと、管理職となった後の業績は「男性」に劣ること、が分かっているとします。つまり、過去のデータ上は「男性」の方が「女性」より平均的には上手くいきやすいということが示されているわけです。

すると、個人で見ればAさん>Bさんですが、カテゴリーからはAさん<Bさんとなります。

 

さあ、どちらを登用しましょう。

 

ここで問題になるのが、個人の能力というものの測りがたさです。

テストの点ならまだしも個人個人の仕事の能力の高低というのは、単なる業績上の数字だけでなく、様々な側面があり一概には測定・比較できません。

Aさんの方がBさんより優秀であると誰しも思っていたとしても、よっぽど差があるのでなければ、印象論を排した明確な証拠を示すのは容易ではありません。

 

それに対して、過去長年に渡り培われたデータは、揺らぎがない明確で説得力の強い証拠として突きつけられます。「今までそうだったのに今回だけは違う」とどうして言えるのかとなると、急に判断に悩むのが人間というものです。

 

こうして結局は個人ステータスに反し、「男性」「女性」というカテゴリーの統計的データを根拠に、能力もそう劣っていないということで「男性」であるBさんを登用するという判断が下されやすくなります。

 

これが統計的差別です。

しかし、差別と言っても、これは企業の立場からすれば過去のデータに基づいた「合理的な判断」であり、あくまで「企業努力の範疇」なのです。

 

統計の背景の偏りを正す

こう言うと、でも統計データ上「女性」が「男性」より劣っているのなら仕方がないんじゃ、と思われる方も居るかもしれません。

まあ実際そう言われる方も少なくありません。

 

でも、実は仕方がなく無いんですよ。

 

なぜって、その当の過去の統計データというのが偏ったデータの可能性があるからです。男性が有利で女性が不利な状況で優劣を比較しているかもしれないからです。

 

考えてみてください。

「仕事は男性がやるもの」という空気が背景にあった場合、周りが男性ばかりで女性管理職が自分だけであった場合、女性管理職として仕事の継続のしやすさ、業績の出しやすさに影響しないと言い切れるでしょうか?

 

もし「仕事は男性がやるもの」という空気が男性有利に働いていたとしたらどうでしょう。

男性有利な条件で男性が優れた結果を出し、その統計データから男性を優先的に登用することで「仕事は男性がやるもの」という空気をさらに補強し、男性有利な条件が維持されるという、悪循環が生まれます。

 

これは果たして合理的でしょうか?

 

もちろん、そんな「空気」なんて仕事の結果に影響していないのかもしれません。その可能性も当然あります。

でも、科学実験でも何かの優劣を比較しようとする時、まずは背景条件を揃えますよね。

条件を揃えないと、背景条件の影響の可能性が拭いきれず、優劣の結論をはっきり言えないことが分かっているからです。

例えばAという品種の育ちやすさと、Bという品種の育ちやすさを比べる時に、Aにばっかり日光を当てて肥料をたんまり与えていたら比較になりませんよね。

 

つまり、「男性」「女性」の仕事の優劣も、背景条件を揃えないとはっきりしたことは言えないのですよ。

 

だから、数値目標なんです。

 

そうやって無理矢理にでも男女の背景条件を揃えないと、いわば「統計的差別」に対抗して「逆差別」をしないと、まずフェアな競争のスタートラインにも立てないのです。

 

もうほんと強引でちっとも美しくない手ですけれど、残念ながらもうそこまで状況が追い込まれた、そういうことなんだと思います。

 

 

難しいですね。

 

 

 

 

 

P.S.

もちろん、その後「逆差別」が過度に進行しないように、厳に監視する必要があります。

またこれはこれで大変ですが。。。

 

(2500字)