人の生命が奪われる物騒な国「日本」
日本は安全な国と言われます。
もちろん現実には国内でも痛ましい殺人事件が時折発生しており、それに目を背けてはいけませんが、海外に比べればまだまだ安全な国というのは共通の認識でしょう。
海外旅行に行く際になって、急に治安への不安が重くのしかかってくる、そんな方も多いのではないでしょうか。
それを裏付けるように、統計的にも日本の殺人件数は年間10万人あたり0.4件と非常に低い水準で、下のリストの中でも7番目に殺人が少ない国(地域)となっています。
■List of countries by intentional homicide rate - Wikipedia, the free encyclopedia
■Homicide_statistics2013.xls (Excel file by UNODC)
他国の状況をざっと見てみると、世界の警察アメリカさんでは10万人あたり4.7件、恐ろしあのロシアさんでは10.2件、犯罪大国と悪名高い南アフリカでは31.8件と、ケタ違いの数字に目を奪われます。
何だかんだいって、老若男女問わず夜中に何気なく歩き回れる日本という国は非常に貴重な存在なのです。
しかし、殺人件数が低いからといって、日本は「人の生命が奪われない安全な国」と言ってしまってもいいのでしょうか。
生命の危険を感じることなく安心して生活できる、そんな国と言ってしまっていいでしょうか?
申し訳ないですが、私には、そうは思えないのです。
というのは、「他殺」ではないもう一つの「殺人」――自分が自分を殺す「自殺」の存在がどうしても気にかかるからです。
御存知の通り、日本は悪名高い自殺大国です。
自殺者数は年3万人前後で推移しており、昨年(平成24年)では自殺者数は27857人、10万人当たり21.8人だそうです。
■平成24年中における自殺概況.pdf (PDF file by 内閣府自殺対策推進室)
これは世界的に見てもやはり高く、下のリストでも国別top10に入る不名誉な位置を占めています。
■List of countries by suicide rate - Wikipedia, the free encyclopedia
■(参考)WHO | Suicide rates per 100,000 by country, year and sex (Table)
他国に目を向けると、殺人では優位に立っていたアメリカさんが10万人中自殺者12人で、逆転されています。あの南アフリカさんでさえ15.4人で我が国より一応低い数字。一方のロシアさんは自殺についても20.2人と高い人数ですが。
さて、ここで、国によって、殺人が多い国、自殺が多い国、両方多い国、両方少ない国と色々あるわけですが、このようにデータもちょうどありますし、私は日本の立ち位置を把握するべく、殺人数と自殺数を合算した分析をしてみようと考えました。
・・・と、幸い既にその分析をまとめられていた方のブログを発見しましたので、横着してその記事のリンクで済ませます(^_^;)
ええ、私なんかが危うくまとめようとしてたなんて恥ずかしくて言えなくなるぐらい、綺麗で素晴らしいまとめなので、是非ご覧頂きたいです(転載も良くないですし)。
※なお、使われているデータの数値は私が上で挙げたものとやや違うようですが、傾向は同じようなものと思います
さて、上の記事のグラフの左下に近ければ近いほど、殺人も自殺も少ないので、良いというわけですが、日本の位置はいかがでしょうか。
自殺者数が効いて、けっこう離れてますよね。
何だか、身近な物騒な国アメリカさんよりも、マズイ位置にいるように思えませんか?
そう、自殺数と殺人数を合算して純粋な「非偶発的な死」の数を見れば、日本はなかなかの「アブナイ国」なのです。
これでもなお、「安全な国」って言えるのでしょうか?
こう言うと、「殺人と自殺はやっぱり別物でしょ」という意見があるかと思います。
主体者が違えば、動機も違います。確かに一緒のものではないでしょう。
実際、私たちは他殺数の多寡の方に危機感を持ち、自殺数の多寡にはあまり危機感を抱かず、別物として認識しています。
各種報道を見てもその傾向は明らかです。
では、なぜ、私たちは他殺は恐れるのに、自殺は恐れないのでしょうか。
私見ですが、他殺というと、おそらく、通り魔や強盗殺人などに代表されるように、無実の人が理不尽な死に追い込まれるイメージがあり、その無差別感のために「もしかしたら自分が被害者になるかもしれない」という不安を呼ぶのでしょう。
一方で、自殺というと、「自分は別に自殺したいと思ったことはないし」とか「心が弱い人が死ぬんでしょ」とか「失敗するやつが悪い」といった「他人事」のイメージがあり、「自分は無関係」と感じてしまうのではないでしょうか。それで、おそらく不安が呼び起こされないのです。
ここで、私が問題にしたいのは、「本当に自殺はあなたと無関係なのか」という点です。
自殺の要因というのは複合的で複雑なもののようですが、仮に自殺に人種(遺伝的傾向)が影響があるとして、あなたが日本人であれば、当然「自殺が多い人種」の呪縛から逃れられません。
それなのに、なぜ「自分だけは大丈夫」と言えるのでしょうか。
また、不況などで自殺数が増減することが知られており、自殺には経済・社会的な要因も強いと言います。
あなたもそんな社会の中にいて、「自分だけは大丈夫」と言えるのでしょうか。
あるいは、イスラム教圏など自殺を良しとしない文化圏では自殺数が少ないことが知られており、自殺には文化的・宗教的な要因も強いそうです。
あなたもそんな日本の文化圏の中にいて、「自分だけは大丈夫」と言えるのでしょうか。
そして、一番疑問なところ。
仮に「自分が大丈夫」であったとしても、あなたはこの日本の社会や空気を作り上げている一人として「自分は誰も自殺に追い込んでない」と本当に言えるのでしょうか?
隣の人が自殺しても、自分が死ななければ、「無関係」なのでしょうか?
直接、包丁で刺したり、銃を撃ったりしてなくても、あなたも一員として構成している日本社会の空気圧で、駅のホームから誰かの背中をそっと押し出しているのではないでしょうか?
それは、実感もなく、罪にも問われず、あなただけの責任でもないものですが、でも、だからといって、この日本に共に生きている以上、無関係でもないのではないでしょうか。
これは例えば、一部の権力者や富裕層が暴利を貪って、追い込まれた貧困層がその日の暮らしにも困って手を汚してしまう国で、富裕層が本当に無関係とは言えないのと同じだと、私は思うのです。
追い込まれた人が、他人を傷つけることにするのか、自分を傷つけることにするのか、が違うだけで。
社会はつながっているのです。
私たちが誰かを押しのける度、その圧力は弱い方へ弱い方へと伝わっています。たとえ、そこに何ら故意や実感が伴わないとしても、その圧力が蓄積されれば、人を潰す力にもなりえるのです。
他殺が少ないことは誇れることです。
でも、自殺が多いことは、やっぱり恥じるべきことでしょう。
それらは確かに別物かもしれません。
私だって、どちらかと言うと、自殺が少なくても殺人件数が多い国の方がやっぱり怖いです。
でも、感覚的には違ったとしても、どちらも等しく生命が失われているという点では、軽視してはいけないところではないでしょうか。
日本は「安全な国」だって、ここで安心してしまっていてはいけないのではないでしょうか。
もし多くの人がこれをあくまで「他人事」だって思うのなら、日本はそんな「物騒な国」だったのかと、私は恐ろしく、そして悲しく思います。
P.S.
暗いテーマですみません。
昔から思ってたことだったので、特に最近の具体的な何かに怒って書いてるというわけではないのですけれど、例えば「うつ病は本人の甘え」的な空気はまだやっぱり強いかなと思うので。
ちょっと「治安がいい」で喜んでるだけでは止まって欲しくないなという、問題提起でした。
具体的にどうしろとも言い難いところなのですが。
さらに言えば、日本が良くても、世界がつながっている以上、私たちも世界の他の国の他殺や自殺に無関係とは言えないのですけれどね。
その意味では、もう、この罪深さから私たちはどうにも逃れられないのかもしれません。
ただ、参政権の有無や社会の空気の一員かどうかという点で、日本国内の問題の方がより責任や関係性は高いとは思うので、今回は国内についてのお話としました。
なお、自殺要因についての細かい分析や考察は専門家でないので甘いところがあるかと思いますが、その辺りはご容赦ください。