闇の灯り
人は生まれながらに2つの灯りを持たされるのだと思う。
一つの手には周囲を眩く照らす光の灯り。太陽のような灯り。
もう一つの手には、周囲を漆黒に染める闇の灯り。夜のような灯り。
光の灯りは分かりやすい。私たちが普段生きててイメージできる普通の灯り。暗いところを照らすと明るくすることができる。
闇の灯りはその逆で、照らすところが暗くなる、現実には無いそんな不思議な灯り。明るいところも照らすと暗くすることができる。
何かを見る時に、光の灯りを掲げれば、それは明るく幸福でポジティブでとても素晴らしいものに見える。
一方で、闇の灯りを掲げれば、それは暗く陰鬱でネガティブでとても汚らしい物に映る。
何かを見る時にどちらを掲げるかは自由。
でも、それだけに私たちは試されてる。
どんなものごとにも良い面と悪い面がある。
すごく正しいような、善いような行いでも、傷つく人は出る。
悪行の極みのような恐ろしい所業でも、結果的には誰かを救っていることも少なくない。
何かの裏で、誰かが笑い、誰かが泣いてる。
それが善行と言われていても、悪行と言われていても。
普段明るく見えている物事も、闇の灯りで照らせば、その影が見えてくる。
普段暗く見えている物事も、光の灯りで照らせば、その輝きが見えてくる。
だから、何かをよく見ようと思うなら、光の灯りと闇の灯りを両方かざさないといけないのだと思う。
でも、それになかなか人は耐えられない。
というのは、光の灯りで照らした上に、闇の灯りをかざすと、打ち消し合うわけではなく、ただ灯りが重なってしまうから。
目に映るのは両の灯りで照らされた、明るく幸福でポジティブでとても素晴らしいと同時に、暗く陰鬱でネガティブでとても汚らしい物。
そんなものが見えても、理解できなくて、受け入れられなくて、どう考えていいか、どうしていいか分からなくて、人は悩み苦しむ。
人の心は、そんなぐちゃぐちゃなものをぐちゃぐちゃのまま認識できるようにできていない。
なかなか難しい。
だから、人生を歩むうち、次第に、少なくない人が片方の灯りを捨てていく。
光の灯りを選んだ者は、あるいは選ばされた者には、世界は美しく、幸福な天国のように見える。そこに悪なんて存在してはならないかのように。
闇の灯りを選んだ者、選ばされた者には、世界は暗く、残酷な地獄のように見える。そこに善なんて存在していないかのように。
彼らを責める気もない。
彼らは別に間違っているわけでもない。
既に私もその一員かもしれない。
もうすぐそうなるかもしれない。
でも、やっぱりここは天国でも地獄でも無いのだと今の私はしっかりと思う。
多くの伝説が、天国と地獄の狭間に人間界を置く通り、慈悲深くも残酷でもない、そんな狭間の世界。
ここはお花畑でもないし、血の海でも無い。ただ、光と闇がドロドロと入り混じった、明るくも暗くもある世界で。
ココに、天国や地獄を見出すのは、きっと一面しか見えていないのだと思う。
灯りを一度捨てると、拾い直すのはおそらくすごく難しい。
絶対善や絶対悪に囚われるとちっぽけな人間にはもう抜け出せない。
もちろん、両方の灯りを持ったまま歩み続けるのも難しいけれど、でも。
光の灯りだけでは世界は眩しすぎて、闇の灯りだけでは世界は暗すぎて、何も見えてないのと同じなんじゃないかな。
私たちは所詮人間で、神様のような光の中の視力も、悪魔のような闇の中の視力も、持ち合わせていないのだから。
私たちは何の因果かココに生まれて、生かされている。
何の嫌がらせか、限られた視力と限られた精神力しか与えられずに。
でも、私はやっぱり、天国や地獄を夢想するより、この世界を、人の世を、適切な灯りのもとで自分の眼で見つめたい。
この両腕が灯りの重さに耐えられる限り。
この精神が光と闇の濃度に耐えられる限り。
両の灯りを手放すのは、この生命の灯りが消えた時だけ。
だから、それまでせいぜい悩み続けるよ。
⇧何となくこの作品を挿入。明暗が分かれた双子の悲しいお話でした。
P.S.
正しいことをしたいなと思っても、影の部分はどうしても出てきてしまうから、なかなか難しいなぁと、悩むことが多く。
でも、それを無視するようになっちゃいけないのかななんて、ちょっと思って。
あ、私は元気ですよ。元気ですー(;・∀・)
落ち込んでる・・・とかとは違うのですけど、ちょっと考えてるだけで。
ではでは。