雪見、月見、花見。

ぼーっと考えたことを書いています。

裏切られたい欲

前回の記事で「計画なんて外れるもの」みたいな言い方をしましたけれど、私が「計画なんて当たらないから適当で良い」と思っているかというと、そうではないんです。

私も、計画するからには頑張ってこうなるんじゃないかって予想はしますし、計画が外れるとちゃんと悔しがります。

 

前回言っていた内容は、あくまで「遠い先の未来は予想したって分が悪いから、おおよその予測に留めておいて、近くなるにつれて予想を修正していけば当たりやすいよ」という主張ですから、「適当で良い」と思ってるどころかむしろ「本気(マジ)に当てに行ってる」んですよね。

ですからもちろん、頑張って立てた計画通りに事が運べば、私なんてもうあからさまに「フフフ、ほれみたことか」って鼻高々で、気分上々↑↑です♪

 

ただ、逆接に逆接を重ねるような話でアレなんですが、計画が当たれば嬉しいし、ちゃっかり計画を当てに行ってる一方で、「計画が当たらなくてもいい」という気持ちもちょっとあるんですよ。

「予想を裏切られたい欲求」と言いますか。

 

だって、世の中が全部自分の思った通りに動いちゃったら、ソレはソレで物足りないじゃないですか。

頑張って頑張って考えた予想が外れて、悔しいのは確かなんですけど、でもその時に「うひゃー、そう来ましたか~」という爽快感もあるんですよね。

 

これって多分私だけじゃないと思うんです。

分かり易い例が、みんな大好きミステリー小説です。

ミステリーを読む時って、「誰が犯人なんだろう」とか「どうやって殺したんだろう」とか、劇中の様々な謎を予想しながら読みますよね。

そんな読者の真剣な予想をあざ笑うかのように最後にどんでん返しで「意外な犯人」や「意外なトリック」などの衝撃の真実が明かされるのがミステリーの醍醐味の一つというのは、多くの方が納得されるのではないでしょうか。

確かに悔しいんですけど、なんだかすっごくスッキリする。そんな爽快感。

これが例えば本の中盤ぐらいで、「あ、この人が犯人でこういうトリックなんだな」と謎の答えが分かってしまって、本当に結末でそのままの展開が来て終わってしまうと、「フフン、ほれみたことか!」って嬉しい半面、なんだか興ざめな感じもあることでしょう。

 

私にとっての現実での「計画」や「予想」も実はそういうことなんです。

真剣に計画を立てて予想するけど――いえ、真剣に予想するからこそ――当たった時も外れた時も楽しいんです。

当たったら「フフン」って鼻高々になればいいし、外れたら「うひゃー、そう来ましたか~」ってカタルシスにひたればいい。

この「どっちに転んでも楽しい状態」ってのは、ほんとにすごく心地がいいんです。

 

前回の記事で世の中「計画を守らないといけない」と思ってる人が多いような気がするという話をしました。これはつまり、計画が当たったら気分上々だけど、外れることは許せないし気分が悪いと感じる人ということになります。

でもこのような当初の計画を守り通して外しちゃいけない考えって、ミステリー小説で言えば、冒頭の「登場人物一覧」を読んだだけで「犯人」を予想して小説を読み進めていっても「絶対コイツが犯人」その「予想」を変えず、結末で「予想」が外れたら機嫌が悪くなる、下手をすると「いや、このトリックはおかしい」とか「作者はズルい」などと難癖をつけて「予想が外れたこと」を認めたがらない、そんな困った考え方に他なりません。これは、ミステリーを楽しむには少し損な感覚ですよね。

 

結局、「ミステリー小説」は愛好家が多い一方で、現実世界では「ミステリー」が嫌いな人が多いということなんだと思います。

確かに「小説」なら予想が外れても実害がないですけれど、現実で予想が外れると実害がある場合もありますから、「予想を外せない」という強迫観念が生まれてしまいがちなのでしょう。実際、私にもそういう気持ちが無いとはいえません。

 

ただ、多くの人が先ほどの「どっちに転んでも楽しい状態」でもう少し、心地良く生きていけないかなと、最近思うんです。

なんだかんだで皆さんこれだけ「ミステリー小説」が好きな方が多いので、予想が外れた時の爽快感を感じられないってことはないはずなんです。

だから、「予想が外れてはならない」という執着さえ少し弱めれば、予想が当たれば当然嬉しいし、予想が外れてもソレはソレでスッキリする、そんな「都合の良い状態」を実現できちゃうんじゃないかって、思うんですよ。

 

そう、まさに「裏切られたい欲」――その知的生物である人間ならではの高度な欲求――を現実世界でも取り入れることが、先行き不安な現代社会をもう少し楽に行きられる秘訣なんじゃないでしょうか。

 

 

⇩前回記事

準備をすること、計画すること - 雪見、月見、花見。

 

 

 

 

P.S.

前回のちょっと補足的に。

私は「未知への不安」と「好奇心」は表裏一体だと思っています。

無用な不安を抱える必要はないですけれど、向かい合わなきゃいけない不安についてはなるべく「好奇心」に置き換えて、「未知」そのものを楽しむ状態に気持ちを持っていけるといいんじゃないかなーって。

 

実際、私は普段から、「アレは将来こうなるんじゃないですかねー、大変なことですよ!」とか「もうすぐコレがきますよ、きっと!でも大丈夫、アレがこうなりますから!」なんて雑談で楽しそうに様々な予想をしてるせいか、「雪見って、ほんと世界が崩壊してもどんななっても楽しんでそうやなー」と笑われます。(ブログでもそんな感じのよく書いてますね・・)

この「予想外のことを楽しめる」というのは、でもすごく良い性格だなーって、本文の通り最近思えるようになりました。

ブログで色々書いたり主張したりしてるのも、自分が考えた予想の範囲外の意見を聞きたいってのがやっぱりあるんですよー。

 

それともう一つ。「裏切られたい欲」の逆サイドで「裏切りたい欲」ってのもあるんですけれど。

多分、私はその「裏切りたい欲」もけっこうある人間だということに、ほんとこの最近になって気づいたんです。

普段からサプライズもちょこちょこやったりしますし、イタズラも好きですし。

他の人から「こうあって欲しい」とか「こうして欲しい」と「予想」されたり「期待」されたりすると、ついつい「裏切ってあげたく」なってしまうんですよね。。。

なかなかの性悪ですけれど(笑)、結局私はどこまでいっても天邪鬼ってことなんだなぁって。

みなさんもお気をつけて♪