マニフェストなんて要らない
アメリカ大統領選挙もオバマさんの再選で決まりましたね。
日本でも解散総選挙の気運が高まっていますし、選挙の話題に触れる機会が増えている今日この頃です。
さて、こんな選挙ブームの中、民主党が謝罪しています。
民主党、マニフェスト謝罪 子ども手当や一体改革「見通し甘かった」 - MSN産経ニュース
マニフェストで謳っていた子ども手当や、マニフェストで言ってなかった増税をしたことを謝っているようです。
まあ当然約束を破ったわけですので、国民の皆様としては怒り心頭と思います。
私も、できもしない約束をしたらあかんやろー、と思うので、民主党はちゃんと責任を取らないといけないよね――と感じる一方、そもそも根本のところに疑問がわくのです。
マニフェストとか公約って、要らなくないですか?
今日はこの選挙とマニフェストについてボーッと考えていきたいと思います。
◆
マニフェストや公約って、選挙に出た人が「当選したらこうします!」と宣言する約束のことですよね。
投票する側としては「そうそう、そういう制度や法律欲しかったんだ」と自分の思いと一致したマニフェストを探しやすく、誰に入れるかわかりやすいというメリットがあります。
で、マニフェストを掲げて当選した政治家の人たちは、当然そのマニフェストを守ることを期待され、要求されているわけで、その成立に奔走します。
そして、それが成せなければ、今回の民主党のように謝罪し、責め立てられるわけです。
さて、ちょっと、ここで確認です。私たちが選んでいるのは基本的には「議員」なんですよね(あ、知事選とかもありますが)。議員ってのは、その名のごとく議論をする人です。例えば、国会議員は国の会議で議論をする人です。
そして、議論というのは話し合いです。
ここで、考えてみて下さい。
お互いに絶対に譲れない結論を持ったまま、話し合いなんてできるでしょうか?
例えば、「増税」をマニフェストに取り入れた議員と、「減税」をマニフェストに取り入れた議員が居るとします。
彼らが話し合いをしたところで、結局物別れに終わるでしょう。だって、それぞれ守らなければならない約束をすでに背負っているのですから。
で、結局議論は平行線のまま最終的に決選投票の多数決で増税か減税かが決まります。ただ、その時の投票も結局、「増税マニフェスト」の議員が増税に票を投じて、「減税マニフェスト」の議員は減税に票を投じます。国民への約束ですしね。
結局、議論があろうがなかろうが、何も変わっていないのです。というより、変われないのです。
これは、マニフェストという約束の呪縛が強すぎるためです。
忘れられがちですが、議論をするには「意見を変えていい」という前提が必要です。
普段の私たちの言い争いなども振り返ってみれば分かりますが、たいていの口喧嘩というものは自分の意見ばかりを主張して、相手の意見なんて全然聞いていないのです。
意見を変えるのが恥ずかしいとか、意見を変えるのが負けだとか、そういう思いにとらわれると、議論というのは成り立ちません。
議論の目的ってなんでしょうか?
話し合って、よりよい結論に至るのが目的ですよね?意見を変える方が悪いとか負けとか、ダメとかそんなものはないはずなんです。
なのに。
「絶対減税って思ってたけど、議論してみたら、意外と相手の意見も良くってさあ。だから増税に賛成することにしたよ♪」
というようなことが議員に認められていればいいのですが、実際にマニフェストを約束としてしまっているために、意見変えなど許されるはずがなく、引くに引けなくなっているのです。
ですから、マニフェストを決めてしまう以上、もはや「議員」は「議論する人」ではなく「約束通りに動くロボット」になってしまうのです。
国会などの会議も、最初から結果が決まっている、茶番といってもいいでしょう。
これはこれで、「有権者の声が直接反映されてる」、と良いように考えることもできるかもしれません。
ただ、それならそもそも議会民主制である必要もありません。直接みんなで法律を決める直接民主制にしたらいいのです。インターネットが発達した今日では技術的にはそれも可能でしょう。
とはいえ、直接民主制となると色々と面倒もありますから、あくまで代理人として議員を選んでいるという考え方もあるでしょう。
しかし、議会民主制の上で、マニフェストを見ながら議員を選ぶ時、「そもそも議論にならない」という問題以上に大きな問題があります。
◆
マニフェストの重大な弱点は、「選挙のその時の課題」しか取り上げられないことです。
子ども手当をどうするかどうかで、投票を決めたとします。でもそれで決まった議員の人たちは、もちろん他の問題にも対応する必要があります。そして、もちろん問題というものは次から次へと起きてくるのです。
選挙の時に、大震災が起きることなど想定できません。中国や韓国が領土問題で更に圧迫をかけてくることも分かってはいなかったでしょう。
つまり、「子ども手当のマニフェストを掲げてるから」当選した議員が、災害に対応したり、領土問題に対応しないといけなかったりするのです。
当然ですが、子ども手当の問題とは、まるでジャンルが違う問題です。子ども手当について有権者と意見が同じだったとしても、災害対応や領土問題の対応について有権者から見て納得のできるものにならないことも起きてくるのです。
私たちは、その対応を批判します。「もっとしっかりしろ」と非難します。
ただ、どうなんでしょう。私たちも彼らを「子ども手当の有無」などで選んだにすぎないのです。無意識のうちに「マニフェストを守るロボット」を期待して選んでいるのです。そのロボットの対応が他のジャンルで思い通りにならなかったとして、それはそれで私たちの責任もあるのではないでしょうか。
マニフェストの最大の弱点はここにあります。
ある特定の課題の対応だけに焦点が当たりすぎていて、未知の問題や目立たない問題についての対応能力について被選挙人が評価されなくなっているのです。
◆
マニフェストは所詮、結論です。あくまで結論なんです。過程がすっ飛ばされているんです。
様々な難題に対応しないといけない議員たちを選ぶに当たって、そんな「結論」の部分だけ見ていていいのでしょうか。
どんな素敵な「結論」を謳っている人だとしても、どうしてその結論に至ったか、そんな彼らの「過程」――すなわち「考え方」が一番大事だと思うんです。
どんな未知の問題が出てくるか分からない、そんな世の中だからこそ、既知の問題の「結論」ではなく、「考え方」が自分に合う人を選ばないといけないんです。
例えば、
国民の皆さんが安心安全に生活できる社会をつくります。
皆さんの雇用を守ります。
よりよい教育や医療の環境を築きます。
治安や防災に力を注ぎます。
恵まれない人に社会の富を分配します。
景気回復のために、税制を見直します。
これは、今、私が思いつきで一瞬で書いた、それっぽい政見です。耳障りのよさそうな言葉を並べただけで中身は全くありません(笑)
これに、それっぽい数字とかつけたらマニフェストは完成です・・・あくまでハリボテのですけど。
こんな「結論」だけに意味があるでしょうか?ありませんよね。
でも、私たちが日頃触れるマニフェスト合戦というのはこういう耳障りの良いものだけを追っていないと言えるでしょうか?
私は思います。
こういうマニフェストという結論だけに注目した選挙というのは、年収や学歴、身長、ルックスなどで結婚相手を決めるのと同じようなものではないでしょうか。
あなたはそんなカタログスペックで相手を決めますか?
大事なのは何でしょう?
相手の性格、価値観や考え方ではないでしょうか?
マニフェストなんてお見合いの釣書を見ていて、相手の何が分かるのでしょう?
それはせいぜい加工されて綺麗になった生涯ベストショットの写真や、都合の悪いことは隠されて、都合のいい事だけ誇張された略歴が載っているだけです。
そんなので決めないですよね?
やっぱり、会ってから話をしてから、決めますよね?
人を見る。
選挙もそれが大事なんだと思います。
◆
「◯◯◯◯をお願いします!◯◯◯◯をお願いします!」
選挙の時には、こんな名前だけ連呼している選挙カーがよく回ってますよね。
名前だけ言って何なんだ、うるさいなあと思う人もいるかもしれません。
ですが、実は、色んな方法の中で、こんな「名前連呼作戦」が一番得票に結びつくということが過去の選挙の研究で分かっているそうなんです。だから、みんなただそれだけをするんですね。
私はこの現状が残念でなりません。
だって、名前だけ連呼でOKなんて、もう「考え方」も何もあったものじゃありません。
闊歩するマニフェスト選挙、名前連呼作戦・・・。
そして、低い投票率。
いったい、私たちは何をもって選んでいるのでしょう?
そもそも本気で選ぼうとしているのでしょうか?
政治家が悪い・・・それはそうなんでしょう。
おかしな大臣の任命責任どうこう・・・それもそうなんでしょう。
ただ、それを言うなら、彼らを選んだ私たちにも任命責任はあるはずです。
マニフェストの良し悪し。マニフェストを守らなかった民主党の是非。
多分その前に考えないといけないことがあるはずです。
この国は民主主義です。
国民の考え方は間違いなく反映されているんです。
だから、選び方が悪ければ、それなりの人しか選ばれないのです。
◆
私は選挙の度にうんざりします。
見栄えのいいマニフェストばかり提示されていて、どういう「考え方」でそこに至ったのか、さっぱり分からないからです。
政治はどうしても辛い判断をしなければならないものです。
何かを得るために、何かを犠牲にするそんな判断が政治の本質とも言えます。
だから、どういう時に何を優先して、何を犠牲にするか、そんな彼らの根本の「考え方」が分からないと、決めようがないのです。
ただ、現実の個別の問題の考え方を聞くだけでは、マニフェストと一緒で、違う問題が起きた時の対応に不安がでます。綺麗事でごまかすこともできるでしょう。
だから、あえて私は難しい思考実験的問題の考え方を聞いてみたいです。
例えば、「これからの正義の話をしよう」で有名なサンデル教授の「白熱教室」でも挙がったトロッコ問題などです。
暴走する列車があって、このままではその先にいる5人の作業員が轢かれてしまう。
あなたは列車を止めることも、遠すぎて彼らに警告を発することもできないが、分岐のレバーの近くにいるので、列車の行く方向を変えることはできる。しかし、変えた分岐ルートの先には1人の作業員がいて、分岐を変えた場合はその作業員が確実に轢かれてしまうだろう。
分岐を変えた場合は、その方が被害の人数は少なくてすむだろう。でも、彼はこのままなら死なないはずの人間であったのに、あなたの判断で「故意に」殺されることになる。彼を殺す権利があなたにあるだろうか?
さあ、あなたは分岐を変えるべきか、変えないべきか?
ものすごく難しい問題です。正解なんてあるはずはありません。
どうやっても、犠牲者が出る、そんな問題です。
ですが、綺麗事だけではできない政治という業務だからこそ、彼らには彼らなりの答えを提示してもらいたいのです。
他にもいっぱいこのような難題がありますから、それぞれ選挙の時にレポートとしてどっかに貼っつけておいてほしいなと思います。
こんな問題に答えさせるなんて、非常に残酷な仕打ちですが、マニフェストなんかより、その人の本質がありありと出る。
そんな気はしませんか?
私は、議員はあくまでマニフェストなんかの「結論」にとらわれず、各問題をしっかりと考えるべき人たちだと思っています。
だから、これぐらい「考える」人じゃないと、代理人にはできないなと思うのです。
ただ、なかなかこんなのは実現しないでしょうから、まずは考えるべきは私たちからですね。
・・・というわけで。
マニフェスト要りますか??
とりあえず、ささやかですが、ここから考えるタネを植えてみたいと思います。
これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学
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P.S.
えらい人たちがトロッコ問題にどうやって答えるのか、本当に興味があります。
だって、難しいですもん。。
私の中でもいつもレバー引いちゃおうかな・・・いやでもやっぱ引かないかな・・・って堂々巡りしています(´・ω・`)
上の思考実験の本、色々そんな悩む問題が載っていて、オススメです。