雪見、月見、花見。

ぼーっと考えたことを書いています。

考えるという投資 -欲しいスターは何色ですか?-

 

ボーッと考えごとするのが好きなんです。

自己紹介などにも書いていますが、改めて。

 

ただ、ちょっと困ったことに、そういう考え事が一番盛り上がるのが仕事中なんですよね・・・。

当然、仕事中にそんなこと考えていたら手が止まって、なかなか片付かなかったり、とっても効率が落ちてしまいます。幸いあまり怒られてはないのですが、やっぱバレバレかもしれません。

でも、言い訳かもしれませんけど、仕事の内容に関連したことも考えてたりはするんですよ。「いつも、ここの箇所面倒だなぁ」「この作業もうちょっと楽になんないかしら」とか、どうしたら効率的になるかについては良く考えています。効率を考えるせいで、手が止まって効率が落ちているということではあるのですけれど。

 

 

こんな風に「考え事」で手が止まっている時って、他人から見れば「ボーッとして、サボってる」ようにしか見えません。きっと「ちゃんと仕事しろ」と思うことでしょう。多くの人は、自分自身でもボーッとしていたことにハッと気づいて「いけない、いけない、ちゃんと仕事しなきゃ」と反省しながら作業に戻ることでしょう。

つまり、他人から見ても、自分から見ても「ボーッとするのはいけない」という空気があるんですよね。この空気が確立してるから「ボーッとせずに黙々と作業に専念する」ことが推奨されますし、実際みんなそうしてるわけです。

 

でも、これってけっこう怖いことだと思うんですよね。

 

みんな「考えない方に考えない方に」知らず知らず進んでいるように私には思えるんです。

 

 

 

          ◆

 

 

例えば、1時間かけてはてなスターを1つ付けるという仕事があるとするじゃないですか(・・・すごい仕事)。

みんな黙々と1時間作業をしてを1つ、また1つとつけていくわけです。

ここで作業の手を止めてボーッと考え事を1時間ほどもしてしまうと、をつけそびれちゃったりします。

それで、そんなことをしていると、多くの場合、怒られます。

8時間労働だったとして、1日経った終業時にの数が8に足りなくて、「1日8はできるはずだ、たるんどる!」って。

 

考え事をしていると、確かにの数は減るかもしれません。

業績を管理している方からすれば、その減った分のが損に思えることでしょう。

怒るのもごもっともです。

しかし、それは「考える事」が無意味であればの話です。

 

 

 

「考える事」はクジを引くのに似ています。

例えば先程の例で言えば、「考え事」をすれば1時間に1クジ引けると思って下さい。

このクジ、確かにハズレも多いので、ハズレを引いてるうちは先程のように「が少ないじゃないか」と怒られます。

でも、当たりも入ってるんです。

それも「1時間に2つつけられる能力」とか「緑つけられる能力」とか、今までの「1時間で1つ」という常識をひっくり返すものが入っているのです。作業効率の上昇や、あるいはより高品質のものを産み出す方法など、そういう革命カードが入っているのです。

だから、一旦当たりを引いてしまえば、途端に優位に立てます。同じ8時間の作業でが16個つけられたり、緑8個にしたりできるのですから、今までと同じやり方をしていた競争相手は一瞬で歯が立たなくなるのです。

 

「考える事」は無意味どころか、非常に大事な選択肢なのです。

 

 

          ◆

 

 

これは何も空想の話ではありません。

 

カセットテープ、MD、iPod

ラジオ、テレビ、インターネット。

徒歩、馬、車。

手工業、蒸気機関、ロボット。

市場、デパート、オンラインモール。

 

様々な発明品、テクノロジー、新サービスなどなど、世の中、新しいものが古いものを駆逐する事例は枚挙に暇がありません。

そして、そのどの新発明も新発想も、「単純作業を最大限やっているだけ」では絶対に出てこないものです。誰かが「考えた」から生まれたものです。

逆に言えば「考えなければ」いつまでもその新ステージに上がることはできません。

 

 

「1日に8つく」のを絶対にすると、クジを引いていない、つまり「1日16つく未来を得るチャンス」を逃していることになります。

最初の頃はいいでしょう。8さんなら7さんに連戦連勝です。

でも7さんは1クジ毎日引いているんです。

ある日、それが当たってしまえば・・・一気に逆転!

「16対8」や「8対8」といった考えられない圧敗をきたしてしまいます。

 

 

これが「考える事の力」です。

 

 

「作業をする」・・・1時間に1つをつけるというのは「貯蓄」で、

「考える」・・・1時間に1つクジを引いて未来の賭けるのは「投資」と言えます。

 

どちらも大事で、どちらも必要なものなのです。

 

 

 

          ◆

 

 

 

さて、最近、日本の経済が元気がないと言われています。

私にはこの元気が無い理由は「投資」が足りなかったせいなんだと思うんです。

その証拠に、一世を風靡する各種サービスや製品を排出しているapplegoogleもmicrosoftもamazonもsamsungも、どれもこれも日本の企業ではありません。

彼らの武器は紛れもなくで、日本のでは敵わなくなってしまったのです。

つまり、日本は当たりクジを引けなかった・・・そういうことなんです。

 

 

もちろん、クジは引いていたけど運が悪かっただけ・・・その可能性もあるでしょう。

ですが、皆様ご存知の通り、

 

 

スーパーコンピューター開発に「二番じゃダメなんですか?」と研究費を削ったり、

ノーベル賞を取るような教授が自身のマラソンで募金を募らないといけなかったり、

 

 

と、日本の空気はとても新ステージへの「投資」を重視しているとは思えないのです。

 

日本人の資産運用の方法は世界的にも目立って貯蓄ばかりで投資が少ないそうですので、「貯蓄好き」なのは多分性格的なものなのかもしれません。

これがダメとは言いません。真面目で堅実、日本人のこういうところ私は嫌いじゃありません。

でも、やっぱりこの性格の良い点だけでなく欠点にも気をつけないといけません。

自分たちで意識して弱点を補わないといけないんだと思います。

 

 

 

どうでしょう。

私たちは、ほんとにクジを引いているでしょうか?

目の前の1を保つためだけに固執しすぎていないでしょうか?

今持っている1を削ることを過剰に恐れすぎていないでしょうか?

安全、安定を求めて、逆にその重みで沈んでいっていないでしょうか?

 

 

「考える事」「投資すること」これが私たちの最大の弱点にして、最大の課題なんです。

 

 

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だから時には作業を止めて、ボーッと考えられるぐらいの余裕を作りませんか?

時にはティータイムに美味しい紅茶を飲みながらゆっくり思いを馳せてみませんか?

夜遅くまで働き詰めてばかりをコツコツ集めるのも、もうそろそろいいんじゃないですか?

 

今作ってるだけじゃなくて、緑見たくないですか?

どうせなら、せっかくですし青までどうですか?

 

 

もちろん今すぐにはできないけれど、

今あるが減っちゃうかもしれないけれど、

 

それもまあいいじゃないですか?

 

最初はだって1つも付かなかったことあったじゃないですか。

 

そのころにちょっと戻るだけ――いえ、進むためにちょっと助走距離を確保するだけなんです。

 

目を閉じれば、ほら、見えますよね? 

 

 

ええ、未来はいつだって私たちの頭の中にあるんです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

P.S.

なんか相変わらず、大きなことを書いてるんですけど、結局は「仕事中にボーッとしてる言い訳」なのかも・・・?(^_^;)