雪見、月見、花見。

ぼーっと考えたことを書いています。

自炊という贅沢

 

独り身でたまに料理をしようとするといつも悩むことがあります。

 

一言で言うと、

 

 

野菜デカスギ

 

 

です。

 

 

何なんでしょうか、あの暴力的なまでの大根さんの太ましさ。

可愛い顔して人参さんも全部使い切るのは一苦労。

そこの白ネギさんも一本でいいのにちゃっかり二本ペアで居ないでください。

で、最強のキングがキャベツさんです。使っても使っても、切っても切っても、あの貫禄のあるお姿が消えてくれないのです。不思議です。魔法です。

 

結局、一人で使う各野菜の分量なんて限られてるので、野菜の種類が多い料理に手を出してしまうと、それぞれの野菜の大部分が残ってしまうわけですね。

もったいないですが、そのままダメにしてしまうことも多々あります。

 

毎日地道に料理して消費していくのが、一番なんでしょうけど、仕事が遅かったり、不規則だったりすることも多くてなかなかそうもいかないのが現実です。

慣れた人なら、上手い保存方法なりを活用して、何とか回すのかもしれません。

でも、やっぱり新鮮な野菜が食べたいのも人情で。

何とか野菜を使い切ろうとすると煮物、スープ系統の野菜をいっぱい使ってそれでいてボリュームが抑えられるレシピばかりに。

さすがに飽きちゃいます。

 

 

こういう不便さに苦労されてる人、きっと他にもいるんじゃないでしょうか。

 

 

そんな独り身の人を見かねてか、スーパーでも少量カットを売ってくれています。

ちょっとだけ使うのに便利です。

私としても「これこれ、こういうの欲しかったんだ~」って、心踊るわけなんですが、値札を見てすぐに凍りつきます。

 

 

チョット、ナンカタカインデスケド

 

 

暗算得意じゃないですが、1/4切が1/1の1/4のお値段でなく、もっと高値なことぐらいは分かります。

ええ、皆さんご存知の通り、少数切りになればなるほど割高なんです。

独り身ユーザーとしてはほんと悲しい事実です。

せっかく少量の野菜があったというのに、この仕打ちとは・・・。

 

 

ただ、これはお店側としては仕方がないことなんでしょう。

カットする手間もありますし、結局在庫を残しやすくもなってしまいますから。

大量購入すれば割安になるというのが、経済の定理でございます。

渋々、いつもそんな割高の少数切を買って食べるのですけれど、そうこうしてるとメニューによっては結局外食か出来合いのものの方が安い場合もありそうで。。。

ほんと悔しいです。

 

 

でも、考えてみれば、自炊っていうのは、それだけ贅沢な行為なんじゃないでしょうか。

だって、経済的に最も理にかなってる食事の提供方法って、やっぱり給食とか配給とか、同じメニューを大量に作って大人数に食べてもらうことです。

大量に作れば食客一人あたりの手間が大きく省けますし、同一メニューなら材料の余るリスクも少ないですから。

メニューの種類を絞っている牛丼屋さんなんかが大変安く提供できるのも、そういう同一メニュー大量調理という戦略の賜物なんだと思います。

 

それに比べると、自炊とか家庭料理というのは、一人からせいぜい一桁人数程度への食事提供ですから、なかなか経済効率的には悪いということになってしまいます。

食事そのものだけを目的としているのであれば、自炊はそんなに理にかなった方法では無さそうです。

 

 

でも、それでも自炊をするメリットは何でしょう。

・作る過程を楽しめる。

・自分好みの味や量のカスタマイズができる。

・(ご家庭であれば)家族の団欒の一環。

などが考えられると思います。

こんな食事を取るという目的以上の要素があるから、私たちは自炊をするのでしょう。

そして、これはやっぱり非常に贅沢な行為です。

だって、例えば服なんかも、自分専用にオーダーメードすると高いですよね。

それと同じで、同一規格大量生産に背を向けて、個人や少人数向けにカスタマイズするというのは贅沢なことなんです。

 

 

そう、あくまで贅沢行為ですから、経済的に困窮してくると、自炊ができなくなる可能性もあるのです。

例えば戦時中の配給のように、調理こそできますが、決められた材料しか手に入れられなくなってしまうことも考えられます。

そこでは、お鍋とかやかんとか調理器具さえもいくらか失われてしまっているかもしれません。

 

 

 

現代は今のところ大丈夫のようで、私でも自炊ができています。

そんな贅沢をすることができています。

でも、贅沢なことができるって当たり前じゃないんです。

下手をすると戦時中のように自炊ができなくなってしまうことがありえるんです。

それって、ほんと悔しいと思うんですよ。

 

 

 多分、自分らしい食事って、自分らしく生きることの象徴みたいなもので。

それができなくなるのは、自分が自分じゃなくなるようなもので。

 

 

家庭の味は、どんなに久しぶりでも懐かしい、家族の絆で。

それが失われるのは、家族が家族じゃなくなるようなもので。

 

 

だから、みんな大事にするんだと思うんです。

すごく辛い時代でも、みんな自分で料理をするし、家族で食卓を囲むんだと思うんです。

 

 

 

自炊って、最も身近で、最もささやかで、最も大事な贅沢なんだなって

割高な1/4切の白菜を買い物カゴに入れながら、そう私は思うのでした。