読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

雪見、月見、花見。

ぼーっと考えたことを書いています。

バランスをとるということ

id:yumejitsugen1さんの

ゴールデンウィークに相応しい思いっ切りネガティブな話 - ICHIROYAのブログ

を読ませて頂きまして。

勝手ながら私の言葉でまとめてしまうと、ネット上で「陰」すなわち「負の感情」ばかりが広まりやすい現状を見て、将来のこの国の未来を憂いている記事になります。

私も以前この「負の感情」が広まりやすいという状況の怖さを書いたことがあるので、共感するところが多々ある記事でした。(「「好き」って言うのもまた才能で - 雪見、月見、花見。」)

 

ただ、一方で、私は言説が肯定や称賛ばかりの「正の感情」ばかりになるのも望んでいないところもあります。強すぎる「正の感情」は時として、「これの良さが分からない奴はダメだ」などという排他的感情、つまり結局のところの「負の感情」を生み出すことも少なくないからです。

 

例えば、戦時中のような「お上を崇めるべき」という空気の支配のため、誰もそれを批判できないという状況は、ある意味で「正の感情」の極致です。

もちろん、本来「何かを褒める」ことに、「それ以外を貶める」という意味をこめる必要は無いはずなのですが、そういった何かを高度に称賛する場面では、ついつい私たちはそれ以外のものを否定する感情もセットで手にしてしまいます。

「それ以外を貶める」ということを露わにしないまでも、少なくとも「自分が褒め称えている何かを批判されること」に非常に強い「負の感情」を覚えるという現象は皆さんの御経験上もきっと少なくないのではないでしょうか(私自身そうです)。

 

多分、「光」が強すぎると「陰」も強くなるということなのでしょう。

 

これもまた極端で非常に怖い事態です。

 

だから目に見える形で、自由に「負の感情」が出ている、出せる、ということは非常に健全な状態なんだと私は思うんです。

 

 

■バランスをとろうよ

とはいえ、もちろん冒頭で挙げたように「負の感情」が強すぎるのもダメですから、結局のところ、これは「バランスをとる」という話なのです。

何かを評価するときに、良い面も悪い面も合わせて考える、そういうことなんです。

 

そう、私も今まで色んな記事を書いて来ましたけれど、ここで身も蓋もないことを言いますと、私の潜在的な結論は実はほとんど毎回「バランスをとろうよ」です(笑)

それぐらい、私は「バランスをとること」を重要視しています。

 

ただ、この「バランスをとろうよ」という主張は、世の中ではあんまり人気がありません。

「バランスをとろう」こう言うと大抵、「はいはい、『バランスをとる』なんて大事に決まってるだろ。でもそれじゃ具体性が無いし、何の解決にもなってない。ちゃんとどうするべきかの具体策を示してくれないと」と言い返されます。

要するに「結局どうすりゃいいかを示してよ」という批判ですね。私が一番危険だと思っているのが、このような批判をする人に多い、「すぐに解決策を求める姿勢」です。この姿勢こそ、まさしく「バランスをとる」ことを軽視している姿勢だからです。これは全然「バランスは大事に決まってる」と思っているような態度ではないのです。

 

 

■バランスをとるということ

例えば車の運転を考えてみましょう。

運転をしていて道路と車の進行方向がズレてきたら、私たちは修正しようとします。

「右に流れてるな」と思えば、ハンドルを左に切りますし、「左に流れてるな」と思えば、右に切るでしょう。

でも、そんな時に、ハンドルを目一杯切る人はいませんよね。そしてまた、ハンドルを切りっぱなしにする人もいませんよね。そんなことをしたら、かえって逆方向に大きくズレてしまうのがわかりきってますから。

だから、私たちはハンドルをほどよく切って、そしていい所でハンドルを正中に戻します。

 

ここで注目なのは、たとえ「車が右に流れている時」であっても、「実は右に切る動作も使ってズレを修正する」ということです。分かりにくければ、ためしにイメージでハンドルを切ってみて下さい。

ゆっくりと左に切り始め、そしてまっすぐに戻るときにハンドルを右に切り(戻し)ますよね?

そう、これが「バランスをとる」ということなんです。

ただ「ズレを戻す方向にハンドルを切ればいい」というものではないんですよ。

 

■「すぐに解決策を求める」姿勢の危険性

この「バランスをとる時」に必要になってくるのは、車が行きたいと思っている針路(理想)と、それから今どれぐらい離れているか(現実と理想の間のズレ)という二点です。

これを見極めずに「すぐに解決策を求める」という姿勢こそ危険なことはありません。

これは、「車は要するに左に流れてるんだから、右に切りゃいいじゃん」といきなりハンドルを右に目一杯切ることにつながるからです。

この場合、また大きく針路から右にズレて「車は要するに右に流れてるんだから、左に切りゃいいじゃん」と思いつくまで、ずっとハンドルを右に切り続けます。そして、またこんどは左に切り続けて、と繰り返し。

こんなの目をつぶって運転しているようなもので(ガタガタと道路を外れた感触で初めてズレに気づく)、こんな状態でどれだけ道路を真っ直ぐ走るのが難しいか、想像に難くありませんよね。

 

「バランスをとる」ということが大事だと思っているなら、しっかりと目を開けて、最終的にどこに進もうとしているのか(理想)、今どれぐらいズレているのか(理想と現実の差)、そしてハンドルを切るときの効果(解決案のメリット・デメリット)、をしっかり把握しないとちゃんとした解決策(どれぐらいハンドルを切るべきか)を生み出せるはずはありません。

 

世の中には、そのような下ごしらえをせず、特に最終的にどこに進もうとしているのかという理想を欠いた、「今こっちにズレてるんだから、ズレを劇的に解消するこの解決策が良いに決まってる」という主張が多いように思えてなりません。

「どのようにハンドルを戻すか」そこまで考えられた話は少ない印象です。

下手をすると「今までハンドルを右に切り続けてきて上手く行ってた。今うまく行っていないのは右への切り方が足りないからだ。だからもっともっと右に切り続けるべきだ」なんて恐ろしい発想さえ見られます。

 

この状態で、本当に「バランスをとる」ことが大事にされているのか、私はすごく疑問に思います。

 

 

■手段は目的ではない

車の例えを続けますけれど(わからない方は自転車でもいいです)、運転をしている時って、それがどんなに真っ直ぐな道であっても常にハンドルを右左に微妙に切りながら調整しますよね。

なぜそんな必要があるかといえば、人間の考える初期設定は針路へ向けて正確ピタリ一直線とはいきませんし、また、路面の凹凸や風などのように人間にはどうしようもないイレギュラーな要素も存在しているので、どうしてもズレが生じてしまうものだからです。

だから、針路からのズレを常に感知しながら微調整をするのです。

 

「家にまっすぐ帰りなさい」と言われ、「まっすぐ帰ろうとしたら塀にぶつかるよ」と答える、という冗談がありますが、「急がばまわれ」というように、私たちは目的のためにある程度進路を調整しながら向かうことが最も「まっすぐ」であることを知っています。

戦争で言えば、真っ直ぐしか飛ばない弾で敵を狙うより、相手に合わせて進路を調整しながら飛ぶ誘導ミサイルの方が敵に当たります。

マリオカートというゲームで言えば、真っ直ぐ進む緑の甲羅より、相手の動きに合わせて誘導して動く赤の甲羅の方が相手に当たりますよね。

また「運転手さん、前の車を追いかけて!」という時に、進路の調整の効く車では追えますが、進路の決まっている路面電車では追えませんよね。

 

つまり、理想に最も近づけるのは、理想(標的)が何かを把握(ロックオン)することと、進路を常に微調整するということ(バランスをとること)、という2点を押さえた方法になります。

 

で、先ほどは前者の「理想」が欠けている例のお話でしたが、この「進路を微調整をすることができる」ということもけっこうないがしろにされています。

 

例えば、先日も別の側面から疑問を呈した「TOEFL全員必須化」ですが、これでなくとも今の政府の教育政策の提言は非常に「ガチガチ」に組まれたものが多い印象です。全員参加だったり、強制だったり。

 

「日本人に英語力が足りない」、それはそうかもしれません。ですが、その解決をいきなりそんなガチガチした方策で行うことは非常に危険なのです。

これは、針路(理想)はだいたいこっちだからと、いきなり真っ直ぐ列車のレールを敷き始めるようなものです。途中にどんな地形があるか、方角が正確にどちらなのかの測量も無しにです。

そこには「調整できること」という要素を尊重している念は感じとれません。

 

「TOEFL導入」それは確かに一つの手段かもしれません。でも、それが「目的」ではないのですから、それを絶対視することほど危険なことはないでしょう。

また、最低限必要な、この方策によるメリット・デメリットがどれぐらいあるか、やどういう時にこの案を止めるのか、という議論もあまりあるようには見えてきません。

アベノミクスも正直そうで、そのメリットばかり強調されて、デメリットは無いのか、「出口戦略」はどうなってるのか、かなり曖昧なままな印象です。

 

そんな、目をつぶって「大体こっちの方角」としてぶっ放した大砲。

本当にこれが「目標に当たるのか」という点では私は大きな疑問を抱かずにはいられないのです。

 

 

■何でも常に動いている

手に傘を立ててバランスをとる遊び、みなさんもしたことありますよね。

あれって、常に手を動かしながらバランスをとります。

試しに止めてみたらあっさり倒れますね。

そう、あれは手を動かさないとバランスはとれません。

 

皿回しだって、皿が常に回っているからバランスがとれるんです。

自転車だって走っている時にバランスがとれます。

コマだって回っている時にバランスをとって立つことができます。

川だって常に流れているから、いつもそこにあるのです。

生命だって、常に細胞が生まれ変わってうつりゆくから、個体を維持できているんです。

 

「安定させよう」と言って、すぐに「保護」したり、「ガチガチの制度やルール」を作ろうとする人たちがいます。

でも、そんなのじゃ、実は「安定」なんてしないんですよ。

 

常に微調整する。

常にバランスをとる。

 

そうやって、何事も常に動いているから安定するんです。

理想を見据え、常に変化し調整を繰り返すあそびを保つから安定するんです。

 

そう、まず必要なのは「どうすべきか」という具体的な方策ではなく、「どうしたいのか」という抽象的な理想なんですよ。

「どうしたいのか」さえしっかり把握し、今自分が「どこにいるのか」を常に見つめ続けていれば、「どうすべきか」なんて簡単に決定されるんです。そして自由に行動を調整・変化することができるようになるんです。

それでこそ「バランスがとれる」んです。

 

行動を束縛され、身体を固定され変化せず動かなくなったものは、それはただの死体です。

そんなものは、ただ朽ち果てて、腐り落ち、無に還るだけなのです。

 

 

関連記事

rolling stonesに苔のむすまで - 雪見、月見、花見。

 

 

P.S.

書いているうちに、どんどんICHIROYAさんの話から離れて行きましたが、そこはご愛嬌ということで(;・∀・)

記事も生き物なので・・・、って針路決定や微調整が一番うまく行ってないのは私の記事なのかもしれませんね(_ _;)ハンセイ

 

広告を非表示にする