雪見、月見、花見。

ぼーっと考えたことを書いています。

年始にあたって、リセットボタンを押そう

年越しの時、いつも不思議だなーと思うことがあるのですけれど、今年もやっぱり感じました。

というのは、12月31日と1月1日って、ほんの1日違いですから、天気とか気温とか1日の長さとか物理的な要素はほとんど同じはずです。でも、町を歩いていると世の中の見え方が違って感じたことはないでしょうか?私は違って見えるんです。

ええ、もちろん、町中の飾り付けが急に正月らしい艶やかなものになるということも一因にあると思います。でも、そんな飾り付けが目立たないような普通の町端なんかを歩いていても、下手をすると、家でボーッとしている時でさえ、何だか「空気」が違って見える気がするんです。

 

年末はこれまで一年積み上げたというずっしりした「重さ」があるのに対して、

年始は一年これから色々できるぞというさっぱりした「軽さ」があるのです。

 

物理的にはほとんど変わりがないのに、これだけ「空気」に違いが出る――これは、やっぱり人間が「心で物を見る」生き物なんだと、実感させられます。

一年を通して1日1日積み上げてきた日付というカウントがリセットされただけで、不思議なことですが、心の中も一緒にリフレッシュされるのです。

太陽や地球や月からすれば、人間が勝手に決めただけで、なんてこと無いもののはずですけれど、年越しの瞬間というのは人間にとってはそれだけのパワーがあるんですね。

 

そして、このパワーこそ人間の大きな武器の1つだと私は思っています。

 

年始にあたりまして、今回はそんなリセットとかリフレッシュについてボーッと考えたことを徒然に書いてみます。

 

 

 ◆

 

 

突然ですが、人間にとって一番辛いことって何でしょうか。

色々あるとは思うのですけれど、私は一番は「努力したことが無駄になること」と思っています。

 

例えば、嫌なこと最上位にある「死ぬこと」だって、「今まで頑張ってきたことが全部無に帰る」という意味で嫌ということと言えますし、お歳を重ねれば重ねるほどどうしても考え方が保守的になるのも「今まで一生をかけて頑張ってきたこと(貫いてきた信念)が正しいと思いたい(無駄じゃないと思いたい)」の表れと言えるでしょう。

 

他にもあります。

勉強でも恋愛でもビジネスでも何でもいいのですけれど、私たちは高いハードルを前にした時に、「努力せずに負ける」ことを選ぶことが多々あります。

つまり「やってもどうせダメだから最初からやらない」という理屈です。

「努力して負ける」「努力せずに負ける」の2つなのであれば、「努力せずに負ける」方を選ぶのです。

ここでもし本当に「勝敗」の方を重視しているのであれば、「努力した方が勝てる可能性はわずかでもあがる」のですから、それでも努力するはずです。なのに「努力せずに負ける」方を選ぶのは、つまりは実は「勝敗」を重視しているのではないからです。

そう、実は「負ける」ことよりも「努力が無駄になる」方を私たちは嫌っているのです。

「負ける」ことを確定させてでも「努力が無駄にならない」ことを守りきりたいのです。

 

そんなにも人にとって「努力したことが無駄になる」のは嫌なことなのです。

 

 

 ◆

 

 

――努力したことを絶対に無駄にしたくない

 

こんな人の心の性質は、いろんな事に作用しています。というより人間のほとんどの行動の裏にあると言ってもいいぐらいと私は思っています。

 

これが「無駄にしたくないから絶対に成功させよう」という前向きな力になることもあるのですけれど、今までの「努力したこと」を積めば積むほど、どんどん重くなっていって、未来のことじゃなく、今までの「努力したこと」ばかり見る、そんな後ろ向きの力にもなりがちです。

「今」や「未来」としては良くないけど、「努力したこと」を無駄にしたくないから、引くに引けない。そんなことになりがちです。

 

 

本当に、それでいいのでしょうか。

 

 

確かに「努力したこと」は軽く扱っていいものではありません。でも、それはどうしたって「過去」です。もう変えられないものなんです。でも、「今」や「未来」はまだ変えられます、もっと良くすることだってできるはずです。

 

「過去」を守るために、「今」や「未来」が左右される、犠牲になる。

 

それはやっぱりおかしいのです。

 

「今」、冷静に状況を見て「過去のまま」でおかしいという結論になったなら、ここは「過去」を捨てないといけない時なんです。

積んで積んで積んできたものを捨てないといけない時なんです。

 

努力したことを無駄にしてでも、勝ちに行くべき時もあるはずなんです。

 

 

 ◆

 

 

年始になると新年の目標を立てる人も多いと思います。

ですが、「◯◯をしよう」というゲット系・努力系の目標だけだと、その努力を積んでゲットしていく過程で、人生の体重もどんどん重くなっていくという恐れもあると言えないでしょうか。

 

時に、ちきりんさんも、「一年の抱負に、やらないことを決めよう」と提唱されていました。

来年の抱負) やらないことを3つ決めよう! - Chikirinの日記

 

ここで、私は更に過激に「捨てることを決めよう」というのも提唱したいです。

 

「やらない」つまり「ゲットしない」どころじゃなくて、過去に大変努力して手に入れたので大事に持っていたけど「実は自分の行動を束縛する足かせになってるかもしれないこと」――過去の栄光を思い切って捨てる、「カットする」ということです。

 

さきほどから言うように「努力したことを無駄にする」のは本当に辛いことです。すごく心理的な抵抗があると思います。でも、「今」、実質上無駄になっているなら、大事に抱えてたって無駄なんです。「過去」はもう終わったことなんです。カットするところなんです。

そんなに辛いことだからこそ、他人には任せられません。やってもらっても、無理やり捨てさせられても、その人をきっと逆恨みするばかりになってしまうでしょう。だから、みんなのためにも自分のためにも、自分でやる方がいいんです。

そして、やるならゲットすることを決める時が一番ちょうどいいはずです。

 

だから、年始の一年の目標は「ワンゲット、ワンカット」にする、これを提案したいです。

 

 

 ◆

 

 

パソコンをつけっぱなしにしていると、メモリーがキャッシュで埋まって重くなりますよね。

そうした時、私たちは再起動をします。それで動作が軽快になることを知っています。

 

それと同じです。

 

そうやって積んできたことをあえて自分で意識的に崩すようにすれば、重かった人生がきっと軽くなるのです。

 

積んできたものを崩すのは辛いことです。

でもほっておくと、それがどこまでも重くなるのも私たちは気づいているはずです。

 

人生にはセーブポイントもバックアップもありません。

本当の意味でのリセットボタンもありません。

一度だけでやり直しが効きません。

だからこそ、失うのは辛いですし、努力が無に帰るのは辛いんだと思います。

 

でも、それを自分でコントロールすることはきっとできるんです。

自分で積んできたカウントを定期的にリセットする、再起動するって決め事をするだけで、人生をリフレッシュすることはできるんです。

 

一年を365日と決めただけで、年末の重かった空気が、年始には軽く感じるように。

私たちは自分たちで時々リセットボタンを押せるのです。

 

 

ということで、年始です。

リセットボタンを押すのに一番いい時期です。

 

リセットボタン・・・押してみませんか?

 

 

 

 

 

P.S.

はい、そんなわけで、私の今年の目標は捨てることです。

一応、もう決めてますが、お仕事関係の話なので具体的にはちょっと書けませんけど・・・、方向性としては「仕事やめる」的な風味です。

ずっと考えてたことですし、ここまで来るのも確かにそれなりに大変だったので、やっぱり勇気が要りそうですね。頑張った昔の自分に謝らないと(´・ω・`)

 

でも自分じゃないと決断できないことなので、今後がより良くなるようにまた頑張りたいと思います。

 

はてさて、年始ながら記事内容が若干重い空気な気もしないでもありませんが(笑)、あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします!