細く儚いつながりだからこそ
【SNS】ネットサービスに主導権は握らせない。 - Sakak's Gadget Blog
【Blog】つながりたい人とだけつながっていたい - Sakak's Gadget Blog
を読んで。
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例えば、私が今いきなりブログを閉じて、はてなサービスも退会して、twitterも止めたら――
多分いつも来ていただいてる皆さんやたまたま流れ着いた皆さんが私の文章を読むことはもちろん、会うことも話すことも、意見を交わすことも、永久になくなってしまうことでしょう。万が一つに、オフラインで出くわすことがあったとしても、きっとお互いにそれを気づかないでしょうし、お互いに言い出すことも無いでしょう。
そう、こういう匿名でのブログ運営は、そんなリセットボタンを持っています。思いついたら一瞬で、全部破壊できちゃいます。全部のつながりを断てちゃいます。
keisukeさんが「太い」と表現されている、ブログを通してのこのつながりは、この意味から、逆にとっても「細くて」「儚い」つながりなんじゃないかなと私は思っています。
でも、だからいいんですよ。
私は、幸いにして、家族、友人たちなどなど、周りはみんな良い人ばかりで、人生としては恵まれていると思います。みんな楽しいし、面白いし、優しいし。だから、みんな大好きです。
でも、オフラインのつながりの性質上、仕方がなく浮かび上がってくる「穴」もあるのです。
例えば、私の家族が私と「家族」でなくて、他人として社会で出会ってたら、本当に仲良くなれたでしょうか。友人とも、たまたま学校で一緒になったり、職場で一緒にならなかったら、食事や飲みに行ったでしょうか。
本当はそんなに私のことが大好きってわけではないけれど、これからもどうしても付き合って行かないといけない「家族だから」「友人だから」、人生の流れの上で「たまたま出くわしてしまったから」、仕方なく合わせているところがないとはいえないのです。
「血は水よりも濃い」とも言いますが、どうしたって親子は親子ですし、この一生どうやっても断ち切れない縁なのです。
切ろうにも切れないこのつながりは、本当に「太くて」「頑丈な」つながりです。
もちろん、不満があるわけではないのです。さきほども言いましたけど、本当にみんな良い人ばかりで大好きです。でも、良い人たちすぎて、優しすぎるからこそ、不安になるところがあるのも事実なんです。
私と親しくしてくれるのが、「私が私だから」なのか「私の中身が気に入ったから」なのか。
すごく贅沢で傲慢で、自意識過剰な悩みであることは分かっています。でも、一度気になると、周りの人たちという太陽の光が特に強すぎるからか、それは私の中に色濃く影を落とすのです。
これは、大富豪の方が真実の愛を得られるかという話とも似ています。
大富豪の方がモテてもモテても、「俺自身でなくカネ目当てかもしれない」と一度思ってしまえば、彼が大富豪であるがゆえに、どうやってもその疑惑が晴らせなくなってしまうのです。本当に彼を心から愛している女性がいても、「とても上手い演技をしているのかもしれない」可能性はどうしても彼の頭から消えることがないのです。
イケメンさんや、美人さんでもそうでしょう。彼ら、彼女たちは、自分自身で自分の美を認めてしまった瞬間から、永遠の罠にハマってしまいます。「彼(彼女)は本当に自分のことが好きなのだろうか、ただ見た目で選んだだけじゃないのか」と。
逆もいえます。貧乏の方やブサイクさん、ブスさんの場合。自分が自分をそれらで「劣っている」と思った瞬間から、「自分が好かれないのは、お金(美貌)のせいで、中身じゃないはず!もっと中身を見て!」と、今度は逆に「嫌われる」ことを認められなくなってしまうのです。
これらが特に悪いこととは私は思いません。責めるわけでもありません。人間の人間らしい、仕方のないような、業なのかもしれないと思います。おそらくは、古今東西でずっとずっと、人間の心の中に住み着いている魔物なんだと思います。
心の片隅で、私たちをチクリチクリと刺す小悪魔です。
本当にお前は幸せなのか――とチクリチクリ。
静かな部屋で時計の針の音がとても耳に響くのと同じで、不幸な時には微弱な刺激も、幸せな時ほど強く痛むのです。
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そんな中、インターネットの発明・発達は、まさに革命的な出来事です。
インターネットが無い頃は、どうやっても匿名で人と交流することは不可能でした。
せいぜい仮面舞踏会ぐらいでしょうか?(あれも、どうやっても自分の姿というのが垣間見えてしまいますよね)
でも、インターネットはそれができるんです。匿名で交流ができるんです。自分の姿や匂い、血の縁を隠すことができるんです。
もちろん、誰かが本気を出せば、身元なんていつかは分かっちゃうのですけれど、パッとすぐには分からないようにそれなりに隠せるだけでも十分革命的なツールです。
だって、自分の中身を赤裸々に抽出した文章を人が読んでくれるんです。返事をくれるんです。名前・年齢・性別・役職などなど、様々な肩書きを全てすっ飛ばしてです。本当に人類史上初のことで、とてもすごいことだと思います。
読みに来てくれる方々も、別に私のブログをわざわざ見に来る必要は全くないはずです。でも来てくれて、読んでくれます。
誰にも頼まれず、誰にも強制されてないのに、来なくたって何も誰にも文句を言われないのに、来てくれるんです。
いつでも切ることができるつながりなのに、切らずにいてくれる。
このことに私は感謝を忘れることはありません。
本当に嬉しく思います。
そして、この嬉しさこそが、いつでも切れる「細くて」「儚い」つながりだからこそ得られた人類初の気持ちなんだと思います。心の中の憎き小悪魔に人類が一矢を報いた瞬間なんだと思います。
私はこの気持ちがすごく好きで大事にしています。
(だから私はfacebookは苦手なんでしょう。実名制ですと、結局、その血の縁から抜けられませんから)
・・・と、長くなりましたが、これが私のブログをする理由です。
細く儚いつながりだからこそ、守りたいと思いますし、大事にしたいと思います。
雪はすぐに溶けます。
月はすぐに欠けます。
花はすぐに散ります。
儚くて儚くて。
でも、だからこそ、美しいんです。
だから好きなんです。
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あ、でも、誤解の無いようにもう一言――
えーと、上のような匿名の交流を大事にするというお話は、エスカレートすると、匿名で書いたことこそが「本当の自分」と思ってしまう危険もはらんでいます。ところどころで、社会問題にもなってますよね。「リアル」を捨てて「ネット」を取るという、アレです。
でも、それはやっぱり違うんじゃないかなと思います。
匿名で書いたことは、あくまで匿名で書ける「自分の一部分」でしかありません。
単純な話、
「実名での自分」+「匿名での自分」=「本当の自分」
なんです、やっぱり。
だから、「実名での自分」を取り巻く周りの人たちにも感謝して大事にすることは忘れてはいけないんです。「匿名」がそんなに偉いわけではありませんから。
私も、そこは間違えないように気をつけたいなと思っています。
でも、ともかくも、今までの時代にはどうやっても出せなかった「匿名の自分」が出せる時代に生まれたんです。
こんなチャンス、せっかくだし使わないとね?
P.S.
あ、もちろん、ブログのやり方は人それぞれですから、実名でブログされたりする方は、そのまま好きなやり方でやっていっていいと思います!