優しくなんかないのに
※愚痴っぽい更新です。
私は人当たりがいい方らしい。
曰く、物腰が柔らかくて、話し方も丁寧。
曰く、フレンドリーで、ユーモアもある。
曰く、上司・同僚など周囲にも気を配り、ちゃんと後輩の世話も焼く。
曰く、怒ってるところを見たことがない。
なんだか買いかぶりすぎだと思うけれど、確かにあまり露骨に人に嫌われることは少ない気もする。
私は常日頃、相手の意思や気持ちを尊重するように、人になるべく失礼の無いようにしたいなと思って生きているので、それが一応は達成できているのかも。
また、中には私に好意を持ってくれる人もいて。
私は人の愚痴とか悩み事を聞いている時、ついつい感情移入して一緒に悲しくなってきてしまうタチで、「そうだよね、しんどいよね・・」って、なる。
人の話を聞くことは苦じゃない・・・というかむしろ好きでもあるので、少しでもその苦しさが和らいで欲しいなと思って、「またいつでも愚痴を言ってね」と、なるべく声をかける。
そうすると、こう言われることがある。
「雪たんは優しいね」
って。
でも、それに対して私はちゃんと言う。
「優しくなんかないよ」
と。
だって、実際に優しくないから。
今まで生きてきて、それを痛いぐらい知ってるから。
でも、この段階ではあまり信じてくれない。
いえ、信じちゃうのかな。
うん、結局、多くの人は、私が優しいって信じちゃう。
この時点では。
◆
みんながそれが誤解だったことに気づいてくれるのは、親密になった後のこと。
私も相手を好きになって、相手も私を好きになって、もっと仲良くなりたいなーと思った頃に、馬脚が現れる。
仲良くなると、次第に私が「そうだねー」じゃなくて、「えー、私はこう思うんだけど、あなたはどうしてそう思うの?」と、こういう反応をするようになる。
これが多分相手にとって裏切られた気分になるんだと思う。
今までは「そうだね」って共感で受けてくれたのに、なんか「反論してくる」って。
「分かってくれない」って。
終わりはいつもそう。
「最低」だの、「冷たい」だの、「自分勝手」だの、「自分の意見を押し付けんな」だの。
「優しいね」って言ってくれたその口で、私を罵倒して去っていく。
勝手に期待して、勝手に信じて、勝手に裏切られたと思って、勝手に去っていく。
だから、ちゃんと「優しくないよ」って言ってるのに。
私の共感は、あくまで共感であって、完全に肯定しているわけじゃない。
「あなたの立場」になればしんどいと思うのは当然だよ、っていう共感の気持ちは、「私の立場」を一時的に捨ててる話。
つまり私自身の純粋な意見とか思いとかは一旦脇においてる設定。
だから、共感するからといって、完全に私が同じ意見かどうかはまた別で。
そして、そうやって「私」を脇に置いとけるのは、まだそこまで親しくない「公」の段階まで。
親しくなって「私」の段階になったら事情が変わっちゃう。
◆
「好きになる」ってのは、私は「相手のことを知りたい」って気持ちだと思ってる。
相手が「こう思う」「こうしたい」って言って、それが私が持ってる意見と違ってたら、「わ、意見が違う!なんでなんで!?」って、私は「なんであなたがそう思ったか」を知りたくなる。
そう、好きな相手だからこそ、知りたくなるんだよ。
どういう前提から、どういう考えの経路を辿って、そうなったのか。
あなたと私と何が違うのか。
「私じゃないあなた」の個性はなんなのか。
知りたいから、答え合わせをしたくなるんだよ。
それに、好きな相手だからこそ、知ってもらいたくなる。
私がどういう前提から、どういう考えの経路を辿って、そうなったのか。
あなたと私と何が違うのか。
「あなたじゃない私」の個性はなんなのか。
知ってほしいから、教えたくなるんだよ。
「私」と「あなた」が1人ずつじゃなくて、「私とあなた」という2人になった時どんな化学反応が起きるのか。
見てみたいんだよ。
だって、せっかく2人なのに。
全く同じになってもしょうがないじゃない。
◆
確かに、話を聞いて、「そうだねー」って素直に共感だけ見せる時期もあったよ。
でも、それはまだでもそこまで親しくない間柄だったから、「あなたがそう思った背景」とか「あなたがそう思うに至った経緯」とか、そこまでの差し入った話はできなかっただけ。
そんな個人の心の奥底にあるような深い話、人を丸裸にする作業のようなものなんだから、もっと親しくならないと聞けないし、聞かないよ。
下手したらこっちも脱がなきゃいけないんだしさ?
それに親しくなればなるほど、「2人に関わる問題」も出てくるわけで、そういう時は、「私の意見」もやっぱり出していかないとしょうがないじゃん。
話し合わないといけないわけじゃん。
私は親しい間柄こそ、礼儀や話し合いが大事って、そう思うんだよ。
だから、反論なんかじゃないんよ。
「私はこう思うけど、あなたはなんでそう思ったの?」
っていうのは。
あなたの意見を否定してるわけでもない。
好きだから素直に疑問を尋ねてるんだよ。
好きだから奥まで突っ込んだ話をしたいんだよ。
私が十分に納得できてないのに「そうだね」って言っちゃうのは、それこそ「あなたの意思」を無視してるような、「私」として対応してないような不誠実な行為な気がして、なんか嫌なのよ。
ほんとにただ、あなたの意見を聞かせて欲しいだけ。
結論だけじゃなくて、その背景とか、考え方が知りたいだけ。
ゆっくりでいいし。
わかんないならわかんないでいいし。
「なんで?」って繰り返してたら、誰だってどうしたって最終的にはわかんないとこが出てくるんだし。
でも、なるべくそこまで行きたいんだよ。
その突き当りに多分「裸の私たち」が居るんだしさ。
◆
でも、この歳になってさすがに気づいたのは、意外と多くの人は相手に「差異」じゃなくて、「同じ」を求めてるってこと。
「なんで?」なんて聞かれずに、無条件に「肯定」して欲しいってこと。
「一緒」になって欲しいってこと。
それが「優しさ」だってこと。
「無条件の愛」――それができない私は優しくない要らない子なんだってこと。
私は個人の意見とか思いをなるべくみんな尊重したいって思って生きてる。
だから、どんな意見も無下に否定しないようにしてる。
なるべく、その人の立場になって共感もする。
でも、それはどうしても「全肯定」って取られたり、「優しさ」って誤解されやすいみたいで。
私が尊重したい個人みんなの意見って「私の意見」も入ってるから、「私の意見」と「あなたの意見」の距離が離れてる時はお互いにかち合わないから特に問題無いんだけど、「私の意見」と「あなたの意見」が近くなればなるほど、「違う」ところは「違う」って言わなきゃいけなくなる。
違うのに「あなたの意見」を「肯定」したら、「私の意見」を「否定」することになっちゃう。だから、それはおいそれとはできない。
話し合ってすりあわせて、なるべくギリギリまで納得のいくところまで行ってからどちらかを捨てたい。
そうじゃなきゃ、真剣に向き合ってない気がしちゃうから。
要するに私は誰の意見も無下に否定しない代わりに、誰の意見も無条件に肯定できない性格なのです。
前半分の段階だけ見て、「優しい」なんて思わないで欲しい。「肯定してくれる」なんて思わないで欲しい。
なんでも「そうだね」って言ってくれるって期待しないでほしい。
後半分の段階に入ってから、「分かってくれない」「優しくない」って怒られても困る。
もともとそういう性格なのに。。。
好きな人に好きなまま嫌われて罵倒されるのはやっぱ辛い。
でも、多分、おおもとから違ってたんだよね。
私はやっぱり「違う世界を見せてくれる人」が好きなんだ。
そして「私の世界観も面白がってくれる人」がいい。
肯定してくれなくてもいい、興味をもってくれるだけでいい。
「同じ価値観の人」なら1人居れば十分。
もうね、1人なだけで十分だよ。。。
◆
「ヤマアラシのジレンマ」の話が好き。
ヤマアラシ同士が寒い中、くっついて温めあいたいけど、近づくとお互いの針が刺さって痛い、ってアレ。
私は人当たりはいいのかもしれない。
だから私の針は短いのかもしれない。
うまいこと近くまでは寄ってきてくれるのかもしれない。
でも、多分その針は鋭くて堅くて冷たくって、近づくと痛くて不快で、だからみんないなくなっちゃうんだなって、最近そう思ってしまう。
いつのまにか、お互いに程よく暖かくて痛くない間合いを図るような癖ができてる気がする。
あんまり近くない。
でも、しょうがないじゃん。それがお互い一番傷つかないんだし。
・・・というわけで、皆様も刺されないように気をつけてくださいね?
P.S.
以上、
id:mame90さんの「ほしいこたえ」
id:doconokoさんの「ぬかるみ」
を読んで、ちょっと昔を思い出し、思いあまりまして。。。
愚痴愚痴ですみませんでした。
あ、もちろん、「雷怖いねー」ぐらいは普通に「そうだねー」でいけると思いますよ!(当然、私も「なんで?」とか聞かない・・・・・・あ、聞くかも;)
一応、今回の話は、もうちっと意見が分かれてもいい段階の話で。
お互いに相方に対して「当然こうだよね?」って甘えが出やすい段階というか。
ま、私の言い方が悪いことの方が多いんだと思うんですけれど。