雪見、月見、花見。

ぼーっと考えたことを書いています。

人は間に恋をする

フラフラとはてなを周回していたのですが、こんな話題が盛り上がっていました。

 

オタクの女の子になりたい願望は性別を超える - 狐の王国

“かわいいい女の子になりたい”くらいで、安易に“性別を超越した”なんていうもんじゃないよ。

なぜ誰も「かわいい女の子」ではなく「かわいい子猫」になりたいと言わないのか

オタクが性別を超越しているとか、性別から逃げてるだけじゃないの?

 

(私はアニメをほとんど見ないので詳しくはないのですが)最近は女の子しか出てこないアニメが流行のようで、それを受けて、

 

「オタクは女の子と付き合いたいのではなく、(女性自身でさえ憧れる)かわいい女の子になりたがっているんだから、もはや性別を超越している!」という性別超越派と、

 

「いや、これも結局はジェンダーの押し付けで、超越なんてしてない」という非超越派、

 

の喧々諤々の議論がなされています。

 

 

私も「ほうほう」と読んでみたものの、皆さん何だかとても難しい考察でちょっとギブアップです(´・ω・`)

 

ただ、私個人的な見解としては、「うーん、やっぱり、それぐらいじゃ性別は超越できてないんじゃないの?」という非超越派なので、今回は私のその辺の性別観についてボーッと考えてみたいと思います(最近、堅い話が続いたので、たまにはこんなゆるいのも!)。

 

 

  ◆

 

 

白状しますと、私は基本的に男嫌いで、いつも女友達とばっかりつるんでます。スイーツ食べたり、ランチ行ったり、飲みに行ったり。

これがまた超居心地がよくて楽しいので、「かわいい女の子になりたい」って気持ちは、正直とっても分かります。

 

でも、ひとたび「女の子になりたい」なんて呟いた日には、女性陣から「えー、言っとくけど、女社会はキツイよ、面倒くさいよ」とか「わたしは男友達とつるむ方が気楽でいいわー」なんて意見が出てきます。

いわゆる、女性同士のドロドロネバネバした関係に疲れたという意見ですね。

 

面白いのは、先ほどのように男性の中にキャピキャピした女性社会に憧れている人がいるのと同時に、このように、女性は女性でサッパリした男性社会に憧れている人もいるということです。

 

そう言われてみれば、少女漫画でも男子校の中に女の子が入り込むような作品もありましたし、あと聞く所によれば、いわゆる女性を排除した男の園的なボーイズラブのジャンルはたいそう根強いそうです。

 

でも、これらの女性向けの作品群も男性側から見たら、「なんじゃ、この爽やかイケメンは!」とか「こんな気配り上手の奴いるもんか、もっと男はガサツやで・・・」とか「男性社会はサッパリしているというか、ほんとはお互い無関心すぎて殺伐としてるよなー」とか思うのではないでしょうか。

 

つまり、結局、男性、女性、互いの関係は対称性で、どちらもどちらに憧れているという側面があるのではないでしょうか。

男性は男性で「相手の気を使わず殺伐としてしまいがちな男性社会」が嫌で、「気遣いの上手な女性グループ」が楽しそうに見え、女性は女性で「相手の気を使いすぎるネバネバとした女性社会」が嫌で、「サッパリした関係を保てる男性グループ」が楽しそうに見えていると。

 

要するに、いわゆる「隣の芝は青い」ですね。

 

で、大事なのは、自身が男性であった時点で女性だけの社会は経験できない、あるいは逆に自身が女性であった時点で男性だけの社会は経験できないという事実です。

よく言いますよね、女性だけの職場に男性が来たら空気が変わったとか、男性だけの職場に女性が来たら世界が一変したとか。

 

そう、たとえ自身の価値観がどんなに逆の性別の視点に近くなったとしても――すなわち、どんなに女性っぽい男性がいても、どんなに男性っぽい女性がいても――やっぱり基本的には周りの人たちからは逆の性別としての扱いはされない(男性は男として、女性は女として意識されちゃう)、という大きな壁があるのです(長い時間や大きな労力をかけて周知できればもしかすると大分いけるかもしれませんが、なかなか難しいのが現実でしょう)。

 

図示するとこんな感じです。

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どっちの性別からも、確かに自分たちが見てる範囲の中では最も反対側の端に憧れているように見えます。

でも、それは本当は端ではなくて、きっともっと自分たちでは知り得ない先の領域があるのです。

 

そう、あくまで、私たちが憧れてるのは、恋をしているのは「間」の部分。

 

だから、ドロドロの女性社会の中に居たら、(殺伐とした男性社会に疲れた男性たちが憧れるような)「かわいい女の子たちのグループ」に理想を抱くことも不思議ではありません。

そして、殺伐とした男性社会の中に居たら、(ドロドロの女性社会に疲れた女性たちが憧れるような)「爽やかな男の子たちのグループ」に理想を抱くことも不思議ではないでしょう。

でも、そのように同じ対象に憧れているからといって、それが性別を超越したものではないのはもうお分かりですよね。

 

だって、確かに同じものを見てはいるけれど、それを見ている位置はやっぱり真逆にあるのですから。

 

 

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P.S.

「間」に恋をして始まる男女の付き合いも、慣れた頃に衝突することがありますよね。

それは、慣れるにつれて、お互いに「間」より向こう側にある、女性社会の「ドロドロ」要素や、男性社会の「ガサツ」要素がどんどん見えてくるせいで失望するという側面もあるのではないでしょうか(もちろん人によりますけれどね)。

 

まぁ、この手のジェンダー論は私自身も含め誰しも自身の視点から抜け出せない呪縛があるので、絶対こうと言い難いのが悩ましいですね。。。