1億2千万人の優しくない日本人
日本人は人が良くて親切で礼儀正しい優しいとよく言われます。
確かに、私も今までそれなりに生きてきた中で、日本ではほとんどの方が親切で「いいひと!」って思うことばかり(まあ、ひどい人もいなくはなかったですが・・・)。
日々の交流関係の中で会う人はもちろん、旅先や店先で通りすがりに会う人たちもみんな優しいんですよね。もうここで別れたら一生会うことも無いかもしれないのに、本当に優しいです。「袖すり合うも他生の縁」と言いますが、そんなちょっとした縁でも大事に扱おうという心があるのだろうなと感じます。
一方の海外では、びっくりするぐらい店員さんが不遜な態度だったり、雑だったりで、しかもそれがそこでは「普通」だったり。
海外に行って初めて、日本人は本当に親切で丁寧で礼儀正しいんだなって実感した経験は誰しもあるのではないでしょうか(きっと、現地で友人でもできれば違うのでしょうけれど)。
東日本大震災の時に、略奪などが起きずに配給の列に静々と並ぶ日本人の姿がが海外で驚嘆の目で見られるのも、さもありなんと思います。
このように、経験と照らしあわせても、確かに日本人は評判通り優しいよねと思います。
ただ、私には、そんな優しいはずの日本人が、「すごく優しくない」と思える瞬間が時々あります。
それは例えばこのようなニュースを見た時です。
これはいわゆる保育所不足の問題で、あまりの認可保育所入所難度の高さから「保活」と呼ばれる活動を妊娠中から熱心にしないといけないというお話です。
つまりは、保育の需要に供給が追いついてない状態と言えるのですけれど、それが一向に改善される気配が無いので今回の訴えに至ったようです。
で、何故この状況が改善されないかというと、結局はお金の話なんですよね。
以前、保育士さんの知り合いに話を聞いたことがあるのですが、彼女の給料は想像以上に安くて正直驚きました。とても責任が大きい業務の上、ちゃんとした資格職でもあるのに。
そもそも、こんなに問題になるぐらいに「需要>供給」なのでしたら、普通の市場原理からすれば給料は高くなってしかるべしと思うのですが、全然給料が上がる気配はないようです。
これでは、確かに保育士不足となってもおかしくはありません。
では、ニーズが余りあるほどあるのに、保育士さんの待遇が何故良くならないかというと、いくつか理由があるとは思うのですが、保育所を利用する世代は若い夫婦が多くお金を払える余裕が少ないことと、保育が非常に大切で善い仕事であることが考えられます。
もし保育士さんの給料を上げようとすれば、当然保育所の利用料も上がります。すると保育を必要としているけれど、それを支払えない若いお父さんお母さんが路頭に迷うことになります。すると、「保育という尊い仕事で、人の足元を見るとは何事だ」という話になり、きっと非難されることでしょう。そしてまた、みんな当然良い人たちなので、路頭に迷うお父さんお母さんが出ると分かっていては、給料を上げて欲しいというワガママを言いにくいという気持ちも出ることでしょう。
だから、結局、外部からも自分からの力が働いて、薄給のまま過ごさざるを得なくなります。
善い仕事ほど薄給になる、この辺りの仕組みは前にも書いた通りです(「その「道徳」が社会を壊す - 雪見、月見、花見。」)。
さて、じゃあ、そんなに保育士さんも保育を受けるお父さんお母さんも困っているなら、社会全体で助けてあげたらと思うのですが、こういう話になると日本人は急に優しくなくなるようなのです。
上のニュース記事も読んでいただくと分かるのですが、「自治体から助成するのにお金がかかるからあんまり認可保育所を作りたくない」的な話が含まれています。
つまりは、「保育にお金をかけたくない」と社会が言っているということになります。
あんなに優しいはずの日本人が、困ってる人が居るのを知っていても助けようとはしないのです。
このような現象は保育だけではありません。
例えば生活保護です。最近、生活保護費の引き下げ方針が決定しました。
つまりは、「生活に困っている人にお金をかけたくない」と社会が言っているということに他なりません。
また、介護の分野でも、長らく、老老介護の惨状や介護疲れでの殺人事件など恐ろしい話が伝えられても、世の中では助けるどころか、下手をすると「なんとか医療介護費を削減できないか」という話に終始しています。
これも要するに「医療や介護にお金をかけたくない」と社会が言っているということでしかありません。
そして需要過剰の状況でありながら、保育士さん同様に介護士さんの待遇も劣悪であることが知られています。
何故このように日本社会がこれらの困っている人たちを助けないかと言うと、日本人には、あるポリシーがあるからなようなのです。
それは、
――家族のことは家族で何とかするべき
というポリシーです。
例えば保育の問題でも、子育てはその家族の問題なのだから、そのお父さんお母さんの責任で何とかするべきと思われています。
生活保護なら、援助できる家族が居るなら、まずはその家族が援助するべきと思われています。
介護でも、まずは配偶者や子どもたちがなんとかして面倒みなさいとなっています。
これらは、色々なところで聞く言説ですし、これを読んでる方でも「うんうん、その通り」と頷かれる方も少なくないかもしれません。
ですが、私はこんなに冷たい話は無いと思います。
こんなに優しくない精神は無いと思います。
そして、とっても打算的なセコい心だなとさえ思います。
「家族のことは家族で」というポリシー、これは要するに「自分の知ってる家族は助けるけど、会ったことも見たこともない赤の他人なんて知ったことか」と言っていることに等しいです。
めちゃくちゃ「身内びいき」の発言です。
自分に関係した人だけ大事にする、これはそんな精神なのです。
先ほど「袖すり合うも他生の縁」と言って、ちょっと会った人にでも日本の人は優しいと言いましたけれど、その半面、日本人は「袖がすり合わなければどうでもいい」と思ってしまっているのではないでしょうか。
これって、何だか冷たいですよね。
また、縁がある人だけ大事にするというのは、実は「見返りが期待できる人だけ助ける」と潜在的に思っていることの裏返しではないでしょうか。
縁がある人であれば、また遭遇する可能性も高いですし、縁が無い人にはそのまま縁が無い可能性も高いですから(通りすがりの人でさえも、顔は知られるわけですから、もしかしたらいつか見返りが来るかもしれないですからね)。
でも、全く顔も名前もどんな人かさえも分からない人たちを助けても、自分が助けたことは相手にも伝わらないから、見返りは期待できない。だから、そんな無駄なことはしたくない。
そう思っている可能性は否定できないのですよね。
あんなにうれしい「みんなの優しさ」も、もしかしたら実はそんなセコく打算的な心から来ているかもしれないとなれば、急にとても寂しいものに思えてきます。
もちろん、私の考え過ぎかもしれません。
日常を見てみれば、やっぱりみんな笑顔で親切にしてくれます。
それはとてもうれしくありがたいと思います。
日々、そんな皆さんの優しさに触れているからこそ、ちょっとその影が目立つだけなのかもしれません。
でも、その「優しさ」の中で時折鈍く光るこれらの「優しくなさ」を目にする度に、せっかくのその「優しさ」の上にさえ影が落ちるように、私には思えるのです。
その影は問いかけます。
私たち日本人は優しいのでしょうか?
それとも、優しくないのでしょうか?
と。
答えはみんなで考えるしか無いのだと思います。
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P.S.
そういう意味では、日本は家族や団体の集まりでしかなくて、社会になってないのかもなんて思うことがあります。まだまだムラ社会で、国になってないのかもなんて。
私は社会のことは社会で何とかするべきというポリシーなのですが、ほんと少数派かもしれませんね・・・。