学問のススメ
今日は、昨日ちょっと書いていた「今の学校の授業で学問の基礎がつく気がしない」というテーマのお話です。
これを考えるには、まず「学問とは何か」から考える必要があります。
昨日、社会の回転が早くなってるという話をしましたけれど、これは学問にとっても実は同じです。学問もものすごく回転が早くなっています。
私は大学を卒業して幾年か経ちましたけれど、ものすごく経ったわけでもありません。ですが、ふとその分野の近況を覗いてみれば、もう見違えるほど世界が変わっていたりします。
新発見や新発明、新解釈が出現したとか、ただ新たな知識が増えてるだけならいいでしょう。
しかし、下手をすると「最近分かったんですけど、あの頃教えてた内容は間違いでした!ごめんね~。てへぺろ♪」と内容自体が覆ってしまっていることさえあります。
これ、ほんと学んだ側としては衝撃です。。。
例えば、皆さん。
――鎌倉幕府の成立は何年でしょう?
私なんかは「いいくにつくろう」で1192年で教わり、覚えた世代なのですが、皆さんはいかがでしょうか。
ええ、今それは解釈が変わって、今時の子どもたちは「1185年」で教わっているそうなんです。「いいくに」じゃなくなってしまったんです(笑)
ちなみに、今は「いいはこ」だとか・・・うーん、無理やりですよねぇ?
このように内容がひっくり返ると「何、嘘教えてるのー、教える人たちしっかりしてよ!」と文句を言いたくなるかもしれませんが、諦めて下さい。
なぜなら、これこそが学問の本質だからです。
◆
学問の発展と言うと、知識や発見が着実にコツコツと積み重なって進歩していく様をイメージされる方が多いかもしれません。でも、そうではないのです。
もちろん、そのように着実に積み上げていくステップも存在してはいます。ですが、それ以上に大事なのが「壊すこと」です。
学問において世紀の大発見と言われるものには、「今までの常識を覆すもの」が少なくありません。
科学分野で言えば、コペルニクスの地動説や、ニュートンの万有引力、アインシュタインの相対性理論などですね。今や私たちは当たり前のように思っていますが、どれもそれまでの常識をくつがえすものでした(これは「パラダイムシフト」と呼ばれています)。
この「壊すこと」は「積み上げる」より何倍も難しいものです。
積み上げることができても壊すことができる人は多くはありません。
意外と分かってしまえば何てことないのですが、これこそコロンブスの卵というやつで、コロンブスの後にあると分かっているアメリカ大陸に行くのは簡単ですが、コロンブスのようにあるかどうかも分からないアメリカ大陸に最初に行くのは、能力と、そして勇気と大胆さが必要なのです。
また、「積み上げる」だけでは、多くの場合どこかで行き詰まります。たいてい「何だか今までの常識では上手く説明できないこと」が見つかります。そんな時に「積み上げる」しかできない人たちはそれでも何とか無理矢理今までの概念を使って説明をしようとします。天動説も本来なら説明がつかない惑星の動きなんかを、小手先で様々な修正を加えて結果的には上手くごまかしています。ですが、やっぱり無理矢理なのでだんだん何が何やら分からなくなってきて発展が滞ってきます。終いには「説明できないものごと」に目をつむるようにさえなってきます。
そんな閉塞を打ち破るのが「壊すこと」です。今までの常識にとらわれず、今そこにある現実を見つめなおして、ようやくそれを「発見」する。そんな誰かが居て、はじめて学問が発展していくのです。
海の中を進む溶岩の映像。テレビなどでご覧になったことがあるでしょうか。
溶岩が最初は勢い良く流れ出ていたのが、次第に表面が冷えて硬くなってしまい、動きを止めてしまう。けれど、そのうちにヒビが入って中からまた熱い溶岩が湧きでて再び流れ始める。そして、また冷えて固まるけれど、その殻を打ち破って中から溶岩が流れでて、ずっと進んでいく・・・。
学問の発展は、そんな光景に近いものです。
勢いにまかせ進んでいくという「積み上げる」ステップと、閉塞を打ち破るためヒビを入れるという「破壊する」ステップどちらも進み続けるために必要なことなのです。
このような「創造と破壊」のサイクルが学問の本質です。
結局、私たちが今のところ「これで正しい!」と思い込んでることなんて、まだまだ正解にたどり着いていないということなんでしょう。この宇宙は私たち人類に対して強大すぎることを忘れてはいけません。「既に正解にたどり着いてる」なんて思うことは、とてもおこがましい考えなのです。
だから、私たちはたとえ教わっていた鎌倉幕府の成立年が変わっても「あ、シフトが起きたんだな」と受け入れるほか無いのです。
◆
ですから、学問の基礎を築くためには、「積み上げること」と「破壊すること」両方を学ぶことが必要です。特に「破壊すること」は難しいだけに、その意味や感覚を学ぶことがより重要です。
ところが、どうでしょう。
学校の授業では多くの場合「常識」を教えるばかりで、「常識を破壊すること」は教えません。
「これこれこういうことが分かっています」と言うばかりで、「これこれこういうことが分かっているということを疑うこと」は教えません。
それは、テストのやり方を見ても分かります。
例えば算数で計算問題の正解ばかり要求したり、英語で単語の綴りや文法ばかり尋ねたり、歴史で人名や年号を問う、などの問題内容。例えば算数の文章題で立てた式が正しくても、計算を間違えれば不正解となる、あるいは大幅減点となる採点方法など・・。
作業の正確さや、知識の正確さばかりが評価されるのです。
計算機やクイズ王を育てるにはいいかもしれませんが、学問を志す人間を育てるにはいかがでしょうか。
やっぱり、大事なのは考え方のはずです。
今の「常識」がどのような考え方に基いていて、そしてどのように「古い常識」を乗り越えてきたのか。なぜ「常識」が変わったのか。そして未だ「常識では解けない問題」にはどんなものがあるのか。
学問の基礎には、そのような「創造と破壊の歴史」、すなわち「常識の過程」を見せることが必要なのであって、決してあたかも絶対的なものかのように「常識の結果」を問うことではないはずです。
◆
難しいようですが、実はこれは非常に単純なことなんです。
「何で?」
「どうして?」
誰しもが幼少期に世界を見る時に抱いていたこの疑問符、これだけで良いのです。
どんな「常識」を与えられても「何で?」と問い続ける、納得行くまで問い続けるこの気持ち、この好奇心が学問の原動力なんです。
この好奇心を保ち、育てることこそ、学問の基礎を築くことで、そして教育の意義だと思います。
そんな好奇心溢れる子どもたちに「とにかくそうなってるんだ」ばかり注ぎ込み、押し付けてしまえば、いつしか彼らもその好奇心の輝きを失い、「そんなもんなんだろうな」と言うようになってしまいます。
常識を問われ強制され続ける結果、常識を疑えなくなってしまうのです。
今の教育の形、今の授業の形が、そうではないと言えるでしょうか?
私にはそうは見えません。
正解ばかり、正確な知識ばかり問う、今の教育は残念ですが学問の基礎にはつながりません。
学問を始めるに際し、彼らに必要なのはそのように「正解することを学ぶこと」ではないのです。
なぜなら、学問とは読んで字のごとく、「問うことを学ぶこと」なのですから。

- 作者: サイモンシン,Simon Singh,青木薫
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2009/01/28
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⇧宇宙史におけるパラダイムシフトの連続が楽しめます。超オススメですー。
P.S.
ということで、最も学校で教育的な課題は「自由研究」ですよねー。
案外重要視されてないですが、私はこれが最も学問の本質に近いと思っています。