社会のクッションの話 ~人間は無限プチプチじゃない~
新幹線から地方の特急に乗り換えると、その揺れ方にびっくりします。
振り子電車というんだそうですが、ほんとにあちらこちらにガタゴトガタゴト。
乗り物酔いはしない方なんですが、移動時間にと貯めこんでた本をしばらく読んでいたら、さすがにたまらなくなって、大人しく寝るしかありません。
新幹線の性能に感激する瞬間です。
あと、車なんかもそうですよね。良い車というのは揺れが少なくできています。
揺れがない安定感というものは本当に心地よいものです。
ところで、揺れや衝撃を抑えるために必要なことって何でしょう。
じっとしてれば揺れも衝撃も起きないのですけれど、列車も自動車も動かないと始まらないものですから、どうしても揺れや衝撃と出くわすことは避けられません。
でも、中に載ってる人を揺らさないためには、人が乗ってる車体を揺らすわけにはいきません。
全体は揺れるのに、中の人を揺らさない。
じゃあその代わり、他の部分を揺らそう。
・・・ということで、その代わりに揺れるものというのが、そう、サスペンションやクッションです。
いわゆる「衝撃を吸収する」というやつですが、本来車体全体で受けるはずの揺れや衝撃を率先して引き受けるという仕組みです。つまり、サスペンションやクッションが揺れるに揺れて伸び縮みしてくれるからこそ、車体は揺れずに済むわけです。
逆に、サスペンションやクッションが硬くて全然伸び縮みしてくれなかった場合は、客室の方が揺れたり衝撃を受けちゃいます。
◆
このように一般に、周囲の環境が変化しても全体の安定を保つためには、どこか一部分が代表して変動しなくてはなりません。
例えば私たちの身体です。
私たちの体温は36度付近にいつも保たれているわけですが、よくよく考えると周囲の環境は砂漠なら40度になったり、雪国では氷点下になったりしています。
じっとしてたら、周りの温度に引っ張られてしまうはずです。
でも、身体は黙っていません。
寒い時は細胞が熱を出す活動をしたり、暑い時は汗を出して冷ましたり、と安定を保つために常に「変動」しています(内部環境を保つこの性質をホメオスタシスと言います)。
緩衝液と呼ばれる溶液のグループがあります。
酸性の液を注いでも、アルカリ性の液を注いでも、pHが変わりません。
中にある塩やイオンが、その都度くっついたり離れたりして「変動」することでpHの「変化」を吸収するからです。
ある意味、塩やイオンにとっては安定とは程遠いとも言えるかもしれませんが、それらがクッションになることで、外から見ればすごく安定して見えるわけです。
変動する部分を持っていないと安定しないというのは、自然の摂理のようなものなんです。
何となく「じっと動かないものが安定している」と思いがちですけれど、そういうわけでもないんです。
少なくとも周囲の環境が時によって変わるなら、絶対にどこか一部の安定をあきらめないと安定は保てないんです。
◆
これらの話は社会にも当てはまります。
例えば日本という社会を考えてみましょう。
私を含めて、社会に安定してほしくない人はいないでしょう。
でも、一方で職場となる企業も倒産してほしくないし、自分の生活も平穏でいて欲しいと願います。
だから、倒産しそうな企業を見たら公的資金で倒産を免れたり、生活に困窮したら生活保護など社会保障で助けてもらいます。
ですが、これだと、どこにもクッションが無いんです。
そして言うまでもなく、日本の周りは激風が吹いていて、とてもとても環境が安定しているとは言えません。
だから、企業と人間を完全に安定させちゃうとクッション役がいないので、結局日本という社会全体が衝撃をモロに食らってグラグラグラグラ揺れちゃいます。
とっても気持ち悪いことになります。
だから私たちは考えないといけません。
決めないといけません。
何を変動させるか、何を不安定にするか。
を。
よく見て下さい。
例えば昨今では日本国の財政を改善するために消費税増税が決まりました。これは社会の安定を図る策です。
そして、JAL、東電、ルネサスなり、厳しい状況の企業が立ち直るように公的資金が投入されてます。これは企業の安定を図る策です。
この場合、残ったクッション役は何でしょう。
不安定さを引き受けるのは誰でしょう。
ええ、そうです。わたしたち国民なんです。
日本という車体と、企業という客室が安定して走行する一方で、下では国民というサスペンションがギシギシギシギシ鳴っているんです。
でも、私たち人間がクッションになろうとしても、無限プチプチじゃありませんから、プチ、プチと鳴る度に誰かの生活や、時には命も弾けてしまっているんです。
そんなの嫌じゃないですか。。。
「生活も企業も社会も安定して欲しい」
これは理想ではあるんですけれど、やっぱり理想でしかなくて。
どうしても、どれかをあきらめないといけません。
諦めきれずに、何となく安定安定と言ってしまうと、結果的に自分たちの生活がグラグラしてきてしまいます。
大事なのは命だと思うんです。人間だと思うんです。生活だと思うんです。
でも日本という社会にも乗っかってるので、社会にも安定してもらわないといけません。
だから、クッションは企業にやってもらいましょう。
仕方がないんです。
業績が悪くなれば潰れてもらって、景気が良くなればどんどこ新規に設立してもらうんです。
資金援助がなくなれば、伝統のブランドや有名メーカーなどの倒産も発生するかもしれません。でも、それでいいんだと思います。業績不振になるということは、みんなから必要されなくなっていたってことでしかないですし、そんな企業を守るために、人々の生活が犠牲になる方がおかしいんです。
法人を生かして、人間を殺すなんて、ダメでしょう?
だから、気をつけて下さい。
△△企業を援助するとか、◯◯産業を奨励するとか、そういう話は危険です。
これらは、つまり自然な揺れに逆らう動きで、サスペンションを硬くするというお話です。
一見、聞こえがいい話ですけれど、結局揺れるのは客室なんです。
そして、あんまり揺れるといずれは客室さえ放り出されてしまいます。
企業をクッションにするというのは、あくまで私の意見なので、そう思う人ばかりじゃないかもしれません。
確かに企業をクッションにすると、職場を転々とすることも増えるでしょうし、勤め先が無い場合も増えるでしょう。
でも、その代わりに生活は安定します。失業中の生活資金も保障されるはずです。
勤め先が無ければ、自分で起業してもいいんです。
企業なんてモノなんですから、壊れたらまた新しいモノを作ればいいんです。
人は失われたら帰ってこないけれど、企業はいくらでも作れます。無限プチプチにはもってこいでしょう?
最終的に起業に失敗したらあっさり潰れるけど、生活資金は保障される、そしてまたチャレンジできる、そんな形にならないかなと思っています。
企業をクッションにして、その代わりに生活が保障されてれば、色んな仕事も試せるし、色んなチャレンジもできるし、けっこう楽しいんじゃないかと思うんです。
命や生活が安定した上で、これぐらいなら、全然OKだと思うんです。
ちょっと理想的すぎるでしょうか?
さて、私の意見はともかく、是非、皆さんも考えてみて下さい。
何の安定を諦めますか?
何を伸び縮みさせますか?
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P.S.
なんだか硬い話でゴメンナサイ。。。
でも、会社という架空の存在を守るために、人の生活や命が犠牲になってることってけっこうありますよね。
そういう話を聞くのがいつもいつも辛くて、なんでそんなもの守らなきゃいけないんだろう、人間の方が大事じゃないの、ってすごく思うんです。
今回は、その思いをちょっとぶつけてみました。