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雪見、月見、花見。

ぼーっと考えたことを書いています。

あな美しき

何となくアンニュイな日々だったので――。

 

冬の存在を騒々しいぐらいに主張するこの寒さと、人間が勝手に作った区切りでしか無いのについつい心が急かされる年の暮れと、どうにも前向きになれない時期だからでしょうか。

書くにも書けず、読むにも読めず、何ともやる気が出ないまま時間だけがつつと過ぎてゆくような無為な日々が続いてしまって。

こういう時は、無理せずゆっくりするのが良いのでしょうけれど、そうしたくとも、私の脳裏にこびりついたままの負の感情がほのかな臭気を頭の中に常に流し込んでくるので、息が苦しくなってしまうのです。耳なら塞げるし、目ならつむれますけれど、息をしている以上嗅覚だけはどうにも止められません。だからもうどうしようもなく、そこはかとない不快感に包まれるしかないのです。

もちろん本当に息が詰まることはありません。完全に負の感情に囚われて闇の底に落とされたわけでもありません。そんなにひどくはないのです。

でも、ただただ、何となくアンニュイな日々だったのです。

 

そんな折、所用のついでがあったので、小旅行のようなことをしてきました。

用事でもなければ出かける気力は無かったでしょうから、所用のついでというより所用のおかげでと言った方がいいかもしれません。

とりあえず、否応なしに外に引きずり出された私は、一応フラフラとしてみることにしました。

 

もともと一人でフラフラするのは嫌いではありません。

行きたいところに行けるし、じっくり見たい時にじっくりできるし、休みたい時に休めるし。

複数人の旅も楽しいのですけれど、予定を気まぐれに変えられるのはやっぱり楽です。

 

今回はそれこそ何となく、某観光名所に久しぶりに行ってみることにしました。

うろ覚えの記憶では、そこは個人的にそれなりに気に入っていた場所だった気がしたので、次もうそうそうここに来ることもないかもしれないし、ちょっと行ってみようかなっと向かうことにしたのです。

 

一般的に、好きな場所が思い出の場所になる場合と、思い出の場所が好きな場所になる場合と、2通りあると思うのですけれど、そこはどちらかといえば後者でした。

近くに着くなり、とてつもないデジャブ感。

デジャブというか、本当に来たことがあるわけですけれど、でもデジャブというのがしっくり来る感じで。

 

そこに来たのは大分昔なんですけれど、人って覚えてるもんなんですね。

何となく気に入ってた気がするってぐらいの場所でも、やっぱり脳のシワにちゃんと刻まれているみたい。

すごい能力のような気もしますけれど、逆に言えばそれは人は何も忘れられないという悲しい事実とも同義でもありまして。辛いことも悲しいことも全部持ち歩かないといけない、人っていうのはほんと不器用な生き物だと思います。

 

さて、思い出とはよく言ったもので、その場所に立ったら自然に思いが溢れ出てきました。

ああ、これここから同じ角度で見た気がするとか、ここであんなこと言ったなぁとか、このへんで迷ったなぁとか、このお店で休憩したなぁとか。

色々、自然に思い出されます。思い出さされます。

 

昔は二人で歩いた道を今は一人で歩きながら、そのような思い出に包まれていると、懐かしい分あまりにも切なくて、何だか泣きそうになりました。

昔の話ですし、別に引きずるような悪い思い出も特に無いんですけれど、ちょうどアンニュイな時期でもあったのもあるのでしょう。ただ、とっても悲しくなったのです。

 

そんな一歩一歩進む度に何かダメージを受けるような、ちょっとした苦行のようなことでありながら、でも、歩みを止めることも出来ない、前に進みたい、とても不思議な感覚でした。

もちろんほんとに泣き出すことは無かったのですけれど、歩む度に少しずつ負の感情の重りが増してくるのは感じていて、自分で自分がいつ叫び出さないか嗚咽を漏らさないか気が気でなかったです。

これ、このまま行くとほんまヤバいかもって、正直思ってました。

でも、進むしかなかったのです。

 

 

――そんな時に着いたんです。

 

 

視界が急に開けたかと思うと、目の前には絶景が広がっていて。

この寒さの中でまだワンポイントだけ残っていた紅葉樹が、それはもう絶妙の角度で太陽の光をたっぷりと浴びて、とても鮮やかに輝いていました。

 

――あ、これは綺麗すぎる

 

私はただもうしばらく呆然とその景色に見とれていました。

 

 

我に返った時には、あのアンニュイな気分はあっさり晴れてしまっていました。

もう、あの景色が全部持ってちゃって。

その恐ろしいまでのパワーに、ちょっとこれはズルいって思っちゃうぐらい。

こんなことされたら、また頑張んなきゃいけなくなっちゃうじゃんって、すねたくなるぐらい。

それはもうスッキリ爽やかに。

 

  ◆ ◆ ◆

 

今回のことで何となく分かったことがあるんです。

 

思ったことないですか?

 

この世界はちょっと美しすぎやしないかって。

何でこの世界はこんなに綺麗なのかって。

 

天空の星々も、自然の風景も、人や動植物などの生き物たちも、人の集まる町並みも、人が描いて奏でる芸術作品も。

 

ああもう、美しすぎるって。

どうしても美しいって感じちゃうなって。

 

その理由に私は気づいたんです。

 

それは多分、この世界を嫌いになれないようにするためなんですよ、きっと。

 

現実にはやっぱり生きるって大変で、辛いこととか悲しいこともいっぱいあって、落ち込んじゃうこともあります。

そういう意味では世界はほんと残酷です。

 

でも、その分あまりにも世界は綺麗にできているから、嫌いになれないようにされちゃうんですよね。

綺麗過ぎるせいで、もう嫌だってなる前に、やっぱり頑張ろっかなとか、生きていこうかなって思わされちゃう。

 

そんな風に、私たちが生きていくために、世界が綺麗にできてるんですよ。

進化論的に言えば、世界が綺麗に感じるような人類だけが世界に生存できたとも言えますけれど、結果は同じです。

 

私たちのために、世界は綺麗にできてるんです。

その残酷さの罪滅ぼしに、お詫びの印に。

 

 

だから、すごく辛い時とか、追い込まれた時とか、何も見えなくなっちゃって、何も見たくなくなって、何もかも嫌になってしまうことがあるかもしれないですけれど、でも、そういう時こそ、世界の綺麗なところをただ見てあげて欲しいんです。

 

ここは残酷なくせにムカつくほど綺麗だから。

残酷だからこそ呆れるほど綺麗だから。

そして、辛いあなたのためにこそ、せっかく綺麗にできてるんだから。

 

 

 

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P.S.

ほんと、こんな綺麗なのはズルいと思います(´・ω・`)

 

なお、写真は撮ったのですけれど、写真でみるとびみょんだったので載せません・・・。やっぱ実際にその場で肉眼で見ないと伝わらないはずだし!(私の写真の腕の責任については置いておいて)

 

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