よい上司をもったことがある私から
僕は会社からドロップアウトしてしまったが、組織に属していて良いことのひとつは、素晴らしい上司に恵まれて、その薫陶を受けることだろう。しかし、残念ながら、素晴らし...
ICHIROさん(id:yumejitsugen1)が、「できる上司」のポイントを色々述べられてて、興味深かったです。
その内容を見て、ほんとすごい方々だなぁと思いつつ、でもこの上司さんの下で働くのはなかなか大変そう、・・・と思わなくもなかったり(^_^;)
すごく勉強になったり、力がついたりするんだとは思うんですけれど。
で、そんな「できる上司」かどうかはさておき、実は私は幸運にも「よい上司」に恵まれた方です(と、私は思ってます)。
彼の下で働いていた時は、すごくやりやすかったし、充実してたし、自然と頑張れたものです。
私が感じた「よい上司」の条件は、ただ一点。
――責任を取る
コレです。
ICHIROさんの話で言う、
5.自分でできることも、自分ではしない
6.ときには部下の不出来な仕事をそのまま受け入れる
に近いところではあるのですけど、部下に仕事を色々チャレンジさせるだけでなく、それが悪い結果だった時に「俺が責任を取る」と言えるかどうか。
ひどい上司になると、部下にオーバースキルの仕事を振っておいて、特に指導もしないのに、いざとなったら「失敗したお前の責任だ」とか言う人もいるわけで。
ちゃんと「責任を取る」というのは部下にとって「よい上司」の不可欠な要素です。
私は、仕事は「時間や労力と引き換えにカネをもらう行為」というよりは「責任と引き換えにカネをもらう行為」だと考えていて、「責任をちゃんと取る」はずだからこそ、上になるにつれて給料が高く設定されてるんだと思うんです。
ひどい話、部下の仕事をただ見守ってただけで(究極的には遊んでいただけで)、実質的には全く仕事の役に立ってなくても、結果的にチームとして仕事が上手く行った時には、上司はその果実を手にしてもいいのです。
でも、上手く行かなかった時は、その分ちゃんと部下の代わりに責任を取ってくれるという前提がそこに無いといけません。
仕事が成功したら自分の手柄にして、失敗したら部下の責任にする。最悪の上司ですよね。それで高いお給料だなんて、怒り心頭です。
逆に、仕事が成功したらチームの手柄にして、失敗したら自分の責任にする。最高の上司じゃないですか。どうぞせめてお金ぐらい受け取ってください、ってなりますよね。
そう、「責任を取る」これができないなら上司の資格なんてありません。
そのお給料は部下に分けてください。
逆に言えば、責任を取りさえすれば、そのやり方は自由です。
マネージメントはそれぞれのマネージャーのパーソナリティによって異なるのだけど、その巧緻というのは確かにある。Nice or Tough: Which Appro...
以前、ICHIROさんが上の記事で書いてた通り、リーダーは、ビシバシ引っ張る「ドライバー型」のリーダー、みんなを支える「エンハンサー型」のリーダーに分けられるそうです。
どちらの要素も持つのが最も良いようなのですが、上司自身の個性に合わせて、まずどちらかのカラーが強く出るものでしょう。
だから、ビシバシやる「ドライバー型」の「できる上司」でなくても、影でみんなを支える「エンハンサー型」の「優しい上司」でもいいのだろうと思います。
件の私の「よい上司」は後者でした。
彼は仕事を色々と任せてくれるのですが、あくまで部下の私たちの様子をうかがいながらで、仕事量が偏っているようだったら、その旨を言えば話が通じます。よっぽどでないと無理強いはしてきません。
仕事中、何かトラブルがあってもすぐに助けてくれて、完全に守ってくれました。トラブルが無い時でも、「何かあったら守るからな」オーラがむんむんでした。
「働き過ぎるな」「たまにはちゃんと有給使ってリフレッシュしろよ」と皆に優しい声をかけますし、子育ての関係で急に休むこともある同僚にも寛容でした。
ペーペーの私の意見にもちゃんと耳を傾けてくれて、気に入ったら、ほんとにサクッと採用とかしちゃうし。
いやほんと、改めて振り返ってみても、なかなかの「よい上司」ぶりです。
こうなると、なんというか部下としては、
「この人に責任を取らせるわけには――この人を辱めるわけにはいかない」
って自然に思えてきて。
だから、ほんと自然に頑張れたんです。
こういうマネジメントもあるんじゃないでしょうか。
「できる上司」でなく「よい上司」としての。
・・・ちなみに、この話はあまりハッピーエンドではなく。
「よい上司」の彼は、真っ直ぐな人過ぎたんです。
詳細は知りませんが、彼は、私たちの部署に対する上層部からの理不尽な仕事の割り振りに、どうやらことごとく抵抗していたようなんです。
うちはなんだかんだで人手不足だったので、これ以上の仕事は困る、先に人を増やしてくれと、彼は私たちをかばったんですね。
で、堪忍袋の緒が切れた上層部が、「半沢直樹」ばりに彼を降格し、(自主的な)退職に追い込みました。
現実には「倍返し」は起きませんでした。
ネバーランドはもうありません。
ただ、あくまで、彼は最後まで責任を取り続けたのです。
上層部にとっては、彼は多分「できる上司」ではなかったのでしょう。
でも、私たちにとっては「よい上司」ではあったのです。
いったい、どちらが正しいのでしょうねー。
それ以来、考え続けています。
少なくともこの社会は「できる上司」が選ばれることだけは、分かりましたけれど。
P.S.
この事件が私が「ゆるい働き方」を提唱してるきっかけの一つです。
ちなみに彼は、できないどころか、仕事はメチャクチャ優秀な方でした。ただ、上の方針に反抗したという意味での「できない上司(部下?)」だっただけです。
なお、昔はすっごく怖い人だったらしいのですが、彼に何があったんでしょうね・・・。(話を聞く限り、スラムダンクの安西先生ばりの変身なようです)
なお、前記事で、あんまり「当事者としての話は書かない」と言ったばかりですが、せっかくなのでその傾向に反してみようかなっと(/ω\)
あと、なるべく短めの更新にもチャレンジ(このチャレンジ、何度目だろう・・)。