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「子どもを持たない」という選択 ~The Childfree Life~

"The Childfree Life"

何気なく読んだTIME誌のこの特集が興味深かったです。

 

ネットでも少し読めます。

The Childfree Life | TIME.com

 

日本でも「少子化!少子化!」と叫ばれて久しいですが、アメリカでも出生率の低下が進んでいるんだそう。

本文によると、出産可能年齢に子どもを産んだ経験が無い女性が、1970年代には10人に1人だったのが、今では5人に1人になったのだとか。(日本はどれぐらいなんでしょ)

 

そんな時代の中で、この特集は「子どもを持たない」という選択をした女性あるいは夫婦にスポットライトを当てています。

お間違いの無いようにしてほしいのは、あくまでこれは「子どもが欲しかったのに産めなかった人たち」ではないことです。「パートナーもいて、健康的にも出産に問題の無いけれど、子どもを持たなかった人たち」です。いわゆるDINKSですね。

本文中では持てなかった前者を"childless"と言い、持たなかった後者を"childfree"として言い分けてます。

 

想像に難くないと思いますが、このような「子どもを持たなかった選択」に対して、「自分勝手(selfish)で、社会への責任を果たしてない」などと、社会の風当たりは強いものがあります。

 

例えば、本文中の例。

The Weekly Standard's Jonathan V. Last has made the case in his controversial book What to Expect When No One's Expecting that the selfishness of the childless American endangers our economic future by reducing the number of consumers and taxpayers.

 

これは「子どもを作らないワガママな国民のせいで、将来消費者が減って納税者も減ってアメリカ経済の危機になる」と主張した本の例です。

 

この特集では、このような"childfree"を責める「社会の風潮」への問題提起として、"childfree"な方々の思いや考えを淡々と綴っています。

ちょっとうろ覚えなのですがその主張を一部、ご紹介してみます。

 

①「女は子どもを産むのが当然」という固定観念

・「女らしさ」についての話になると「母親として」の話が必ずついてきて、「母親」としての道を歩んでいないとハナから議論に入れない。

・「子どもがいない」ことは夫婦で選択したことなのに、責められるのは「妻」ばかり。

・「なんで子どもを産まないの?」と聞かれることがあっても「なんで子どもを産むの?」とは聞かれない。
 
これらはどれも、「女は子どもを産むのが当たり前」あるいは「子どもを産むのが女の幸せ」といった社会における固定観念に対する疑問符です。
20代の時は「子どもは?」と聞かれても「うーん、まだちょっと子どもを持つ準備ができてなくて」と言い訳ができたけれど、40も近くなると「まだなの?あなた、もう子どもを産むなら最後のチャンスなのよ?」と圧力が強くなってきて言い訳が大変だった、と語る女性のエピソードもありました。
最近では不妊治療も発達したせいで、ますます「子どもがいないこと」=「女性のワガママ」と責められる雰囲気が増したとも筆者は語っています。
また、「子ども問題」で夫が責められず妻ばかり責められるのは、男性は高齢になっても生殖能力が保たれるけれど、なんだかんだで女性は出産可能年齢に限りがある点も影響しているのだろうとも。
 
「子どもを産むか産まないか」は非常にプライベートな選択のはずなのに、なぜここまで責められないといけないのか。
なぜここまで「産んで当然」と責め立てられて、「産まない」と言えば「ワガママ」だと言われてしまうのか。
 
この理不尽にやるせない気持ちが非常に伝わってきます。
 
この状況を象徴的に表しているのがこの文です。
 
Deciding not to have a kid is like saying one big no and a million little yeses.
 

 

他のどんな選択に「YES」と答えていようとも、子どもを持たないという「NO」の前では霞んでしまう。私は別になんでもかんでも「NO」と言っているわけではないのに、これに「NO」と言っただけで、社会の全てに「NO」と言っているように取られてしまう。
それだけ「子どもを持たない」とこの社会の中で主張することは大変なこと――そんなやるせない気持ちがこの一文に含まれています。
(・・・と、私は思いました。ええ、意訳です。この段落の解釈ちょっと悩む。)
 

②「子どもを産んで育てること」の現実的な問題

・お互い不規則でハードな仕事をしているせいで、どうにも子どもを持つ余裕が無い。
・子どもを持たない選択をしているのは、IQが高く、エリートで、高給な人たちも多い。
・子どもを持つにしても、教育費など必要経費がどんどん高額になっている。
 
これらは、「子どもを持つこと」の障壁となっている現実的な問題についての記述です。
お互いが「やりがいのある仕事」をやっていれば、なかなかどちらが止めるとも言い難いでしょう、高給なエリートが子どもを持つことで、そのキャリアの道から外れざるを得なくなるのはやはり勇気がいる選択でしょう、あるいは生活に余裕が無い夫婦では、どんどん高額になる教育費などに対応する余裕が無く躊躇してしまうのも仕方がないでしょう。
 
いずれにしても、「子どもを持つ」ということは現実として夫婦の生活や仕事に多大な影響を与えます。
その苦渋の選択の中で、「子どもを持たない」という選択をすることが、そんなに責められることでしょうか。
そう筆者は問いかけます。
 
Do Children Bring Happiness—or Misery?
Usually, both.
 

 

”「子どもがもたらすものは、幸福か、苦難か?」
「まあ、両方だよね」”
 
「子どもを持つこと」には幸せもあるけれど、やっぱり現実的な苦悩もある。
その両者を天秤にかけて、悩んで、悩んで、悩みぬいた人たちを、ただ非難してしまっていいのでしょうか?
 
 

③「子どもを持たない人」に対する偏見

・「子どもを持たない人」も実は子どもが好きな人は多い。

・社会における"親"といってもいい存在の保育士や学校の先生なんかも居る。

・親族から時々頼まれる姪や甥などの一時的な世話も喜んで引き受ける。

 

これらは、「子どもを持たない」と言うと、「子ども嫌い」と扱われがちな偏見に対する反論です。

確かに上のような現実的なジレンマで悩んだ末に「子どもを持たない」という選択をした人が、必ずしも「子どもが嫌い」というわけではないでしょう。

そしてまた、「自身が親になる必要は無い」として選択した方も、「子ども嫌い」と決めつけることはできません。

 

I love her in that way that isn’t a friend or a lover or anything besides a child. Even though she’s not mine. And maybe for me that was the most important part of not having a child. Learning to love and not want to possess.

 

ひょんなことから一時期少女を預り育てることになった"childfree"な女性の言葉。
 
"彼女を子どもとして愛してるけれど、でも所有したいわけじゃない"
 
この方のこのような思いを、一概に「子ども嫌い」と言うのは難しいですよね。
 
 

「子どもを持たない」という選択

まとめは以上です。
 
さて、私が驚いたのは、この特集があくまで「アメリカの話」ということなんですよね。
まるで日本での議論ややり取りを聞いているかのように違和感の無い話で、衝撃を受けました。
 
何となくアメリカと言えば、自由の国で、個人主義で、女性も社会進出バリバリ、と思っていたので、そんなアメリカの人たちでさえ「女性が子どもを産んで当然」という圧力に悩んでいるというのは新鮮でした。
アメリカでもそんな状態なのですから、まだまだ少数派を許さない「空気」の圧力の強い日本においては、どんな状態か言わずもがなでしょう。
 
お盆シーズンということで、先日もこんな話がありました。
 
どのような発言に腹が立ったかを聞いたところ、女性は1位「子どもはまだ?(29%)」

 

こういうのを「嫁ハラ」って言うらしいのですが・・・(また新語?)、それはともかく、「子どもはまだ?」というセリフが、いかに暴力的な発言かが分かる話と思います。
 
 
私の知り合いにも、夫婦になって長いけれど、お互いバリバリ仕事をして子どもを持ってない方々がいます。
「子どもを産まないと、将来の消費者や納税者が減る」という話もありましたけれど、バリバリ働いてバリバリ稼いでバリバリ税金を払っている彼女たちが、仕事を辞めたり抑えたりしたら、それだけで消費も納税も落ちてしまう気がします。特に日本ではフルタイム正社員でなければ、一気に経済的な扱いが変わってしまいますしね。
だから、少なくとも単なる金勘定で「子ども」を評価してる人たちは、彼女たちを経済的な面で責めることはできないでしょう。
 
そもそも、金勘定で「子ども」を評価するような人って、不幸にも子どもを早くに亡くしてしまった人とか、福祉にかかる金額が高い障害児の方々とか、子どもが職にあぶれてニートになったり生活保護を受けたりせざるを得なくなったパターンとか、そういうのは全て経済的利益を社会にもたらしてないから「無価値」って言ってしまうのでしょうか。
そこに生命が生まれたのに、そこに人が生きているのに?
 
そして、先ほどのバリバリの彼女たちも、経済面以外の「常識面」から、きっと気づかないところで「子どもまだ?」とか「ワガママだ」などと言われてるのかなと思います。
そう考えると、何だか、私はとてもさびしい気持ちになります。
 
 
念のため言っておきますと、私は「子ども欲しい派」です。
今回の特集も、「子どもを持たなかったことに後悔したことはないわ。私は完全に満足してる」などの記述が多々あり、さすがにちょっと「子どもを持たないこと」を賛美しすぎている面もあるかなとも感じます。
だから、私は「子どもを持たないこと」を無条件に勧めているわけではありませんし、私には決して「子どもを持つこと」を貶めるような気持ちはありません。
 
 
「子どもを持つこと」は素晴らしいことです。
子どもを産んで、育てて、愛おしむ。
すごく良いことで、すごく大切で、すごく素晴らしいことです。
それは間違いありません。
 
 
で、私はいつも思うのですけれど。
 
「素晴らしいこと」を素晴らしいからと言って「するのが普通である」とか「するのが当然である」とすることは素晴らしいことですか?
 
「素晴らしいこと」をするのは、素晴らしいことです。
でも、
「素晴らしいこと」を無理にさせるのは、素晴らしくないことではないですか?
 
正しいこととか、綺麗なこととか、清いこととか。
そういうものを押し付ける行為の醜悪さと暴力性は、私はもっと気づかれてしかるべきではないかと感じます。
 
 
「子どもを持つこと」がどんなに素晴らしくても、やっぱりそこには「子どもを持たない」という選択肢もあるんですよ。
 
本人たちの自由意思として選んでいい、そして無下に責められるべきでない選択肢として、ちゃんと。
 
 
オンライン上で見られるTIMEの記事まとめ

 

 

 
P.S.
特集の内容については、ざっくり私が読んだ範囲のまとめなので、私の英語読解力の無さや記憶違いなどで、本文の意図と違ったことを言っているかもしれません。悪しからず。
 
 
さて、ココからはちょっと愚痴っぽい記述を。
 
「子どもを持つこと」が当然な社会では、今回主題となった「子どもを持たなかった人」だけでなく、当然その裏で「結婚出来なかった人」や「結婚しなかった人」や「子どもを持てなかった人」をも傷つけています。
そのような状況を産んでいることは、私は決して素晴らしいことと思えません。
それは「子どもを産む」という素晴らしい行為にも泥を塗る行為ではないでしょうか?
 
社会としても、少子化で困るからといって、「子どもを持たない人たち」を責めるのが正しいやり方でしょうか。「結婚して子どもを産め」と半強制するのが正しいやり方でしょうか?
何かを勧める時に、他の選択肢を貶め辱めることは、非常に愚劣な行為ではないでしょうか。
 
 
そもそも、そんなに「子どもを持つこと」が素晴らしいと思うなら、社会にとって重要だと思うなら、なおさら「子どもを持ちやすく」するべきでしょう。
 
本文中も話題になってましたが、子育てに関しては現実的な問題が多すぎます。
あと保育所の問題も。
 
結局、そういう環境整備が整ってない中で、「ワガママ」なり「理想が高い」なり言われるのはどうなのでしょうか。
 
 
最近政府も「少子化対策」と「女性の社会進出」を重要課題として同時に掲げています。それ自体はいいことかと思います。
しかし、そんな環境整備がまだまだな中で「専業主婦は社会の害悪」だとか「仕事を言い訳に子どもを産まないのはワガママ」だとか、そんな声も耳にします。
昔、「女は子どもを産む機械」などと発言した偉い方がいましたが、今度は「女は子どもを産んで仕事もバリバリやる機械」とでも言うのでしょうか。
私としては、こんなに失礼な話は無いと思うのですが。