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雪見、月見、花見。

ぼーっと考えたことを書いています。

書評:ちきりんさん著「未来の働き方を考えよう」

ちきりんさんの新刊「未来の働き方を考えよう」。

早速、読みました。

未来の働き方を考えよう 人生は二回、生きられる

未来の働き方を考えよう 人生は二回、生きられる

 

思えば、ちきりんさんの前作「世界を歩いて考えよう」から早くも一年経ったんですね。

その時は書評コンクールが開催されていて、良い機会ということで、私も書評を投稿しました(その時の記事)。それが運良く、入賞させていただいたのも良い思い出です。もらった賞品の図書カードは家宝にしています(笑)

 

でも、今回は特にコンクールが無くとも、たちまち、書評を書くことにしました。

それは、ただ純粋にこの本を読んで良かったと感じたからです。

そして、皆さんにも是非読んで欲しいと感じたからです。

 

みんなで未来の働き方を考えよう

前書評にも書いた通り、前作でもかなり私は感動していましたけれど、今回もまた違った意味の感動で泣きそうになってしまいました。

 

レビューなのに私事で恐縮ですが、実は私は今、ひょんなご縁から転職を誘われていて、自分の今後の働き方について悩んでいるところなんです。

転職してしまえば、私の仕事における、いわゆる一般的なキャリアを積む「順路」からは逸脱します。将来的に自分がどうなっていくのかもなかなか分かからない道ですし、しかも収入も激減してしまいます。周りの同期たちは粛々と「順路」を歩んでいる中で、非常に珍しい変わった進路と言えるでしょう。

実際のところ多少マンネリ化してきたことは否めませんが、今の仕事は楽しいし、好きですし、やりがいも感じているので、普通に考えれば「順路」をたどるのが賢いようにも思えます。

でも、その転職先の仕事内容には確かに私自身、非常に興味があり、さらに周りからも「確かに・・・雪見はすごく向いてそう」と言われるので、とても心が誘われます。

 

そう、とても悩んでいたのです。

 

そんな中、ちきりんさんが新刊を出されると聞いて、しかもそのタイトルが「未来の働き方を考えよう」というのです。

期待せざるを得ませんでした。

発売日を見て、「よし――じゃあ、ちきりんさんの本を読んでから進退を決めよう」、そう心に思うようになりました。

人の本に自分の命運をかけるなんて、ふざけているように思われるかもしれませんが、私はそれだけ悩んでいましたし、最終的に決めるのは本を読んだ後の「自分」ですから、選択の責任はやっぱり私にある状態です。ちきりんさんに全てを委ねたわけではありません。

 

そして、読了。

果たして・・・決心がついたのです。

期待していてよかった――ただ、そう思います。

 

本書のサブタイトルには「人生は二回生きられる」とあることにも表れている通り、この本は一般的な仕事観である「20代そこそこで就職してずっとそのまま定年(未来には70歳以上になるかもしてない)まで半世紀近く同じ仕事を勤めあげること」に疑問を呈するのがメインテーマになります。

いつもに増して説得力のある考察を経て、ちきりんさんは私たちの「仕事観」がいかに縛られているかを明らかにしていきます。

この本を読んでいけば、誰しもがきっと、自然に「自分にとって仕事って何だろう」とか「自分はどう生きたいのだろう」と考えさせられるはずです。

自分の仕事についても何も疑問を感じていなかった方でも、考えさせられる、そんな力がこの本にはあります。私のようにまさに自分の働き方の岐路に立っている者には、なおさら力強いものでした。

 

こう書くと、きっと批判をする方も出そうなので、ちゃんと明記しておきたいのは、あくまでちきりんさんは「20代そこそこで就職してずっとそのまま定年(未来には70歳以上になるかもしてない)まで半世紀近く同じ仕事を勤めあげること」に疑問を呈しているだけであって、否定しているわけではない点です。

十分に考えた上で、「一生この仕事一本で行く」と言う人をちきりんさんはけなすどころか、むしろ応援するはずです。

 

この本が提唱しているのは、今までのちきりんさんの著作のテーマに漏れず、「自分で考えよう」ということです。タイトルもだから「未来の働き方を考えよう」なのであって、「未来の働き方はコレだ!」ではないのですよ。

 

「人がそうしているから」・「それが常識だから」・「これが無難な道だから」――そうではなくて、「自分がこうしたいから働く」そんな視点で「働くということ」を見つめなおそう、そう、ちきりんさんは述べているのです。

 

超高齢化、グローバル化、IT化やら何やらで、社会構造が激変している昨今です。

社会の形が変われば、労働の形が変わることは否めないでしょう。

だから、今、私たちは「働き方」を考える時に来ているんです。

 

自分の「働き方」に悩んでいる人も、そうでない人も、一つのきっかけとして、是非一読をオススメいたします。

 

人の寿命、仕事の寿命

さて、ここまでで一応、本のレビュー本筋は終了なのですが、コレだけでは落ち着かないのが私のタチでございます(笑)

本を読むと、自分の頭の中で、色々考察が膨らんでいくので、書きたくてウズウズするんです(だって、考えるの好きなんだもん・・)。

ですので、こっから書いてあることはちきりんさんの本に書いてる内容ではなく、勝手に私が発展させて書いたものになります、あしからず。。。(レビューだけ読みたかった方はとばして下さい!)

 

 

さて。

ちきりんさんは本書で「一生のうちに一つの職場を勤めあげるだけでなくいろんな仕事を経験したり、間欠的に働いたりというのが普通の選択肢になってくる」そう述べられています。

これは、ちきりんさんだけが言っているのではなく、ちきりんさんも本書を書かれる上で参考にされていたという「ワーク・シフト」という本でも、「カリヨンツリー型キャリア」として細かく間欠的に働く生き方が提唱されています。

 

ワーク・シフト (孤独と貧困から自由になる働き方の未来図<2025>)

ワーク・シフト (孤独と貧困から自由になる働き方の未来図<2025>)

 

この仕事観の変化は、両著者とも「産業革命レベルの革命的な変化」として、非常に大きな変化として認識されています。

 

私自身も、確かに「これは大きな革命的な変化」と思う一方で、最近になって、実はこれは人類史上着々とすすんできた「非常に順当な」変化なのかもしれないと思うようになったんです。

 

その根拠は、「人の寿命」と「仕事の寿命」の変化の歴史です。

 

まず「人の寿命」。

「人の寿命」が歴史上どうなってきたかと言えば――そう、長くなってきましたよね。

 

織田信長が「人間50年」と詠っていた時代から幾星霜。

先日惜しくも亡くなられた世界最長寿であった木村次郎右衛門さんは、なんと享年116歳という大往生でした。

衛生環境の整備と医療の発達で驚くほどに人の寿命は長くなりました。

織田信長以前の原始時代なんかも考えれば、その差はもっともっと大きいことでしょう。

 

 

では、一方の「仕事の寿命」はいかがでしょうか。

「仕事の寿命って一体何のこと」という声が聞こえてきますけれど、例えばこういう話です。

 

人類は誕生以来、農業発明まで、長らく狩猟採集の生活を送って来ました。

そういう時代では、自分や両親、祖父母はみんな同じ仕事です。それどころか、そのまたお父さん、おじいさん、ひいおじいさん、と飽きるまで延々と辿っても、ずっとずっとみんな狩猟採集のお仕事であったことでしょう。

何しろ、狩猟生活の時代は何万年単位であるのに対し、人の世代交代は20,30年毎なのですから。

 

そのようにずっと引き継がれていく「仕事」、これがここでいう「寿命が長い仕事」という定義になります。

 

さて、その後「仕事の寿命」はどうなっていったでしょうか。

狩猟採集社会以後、農耕が始まっても産業革命時代以前までの身分制社会では、まだ代々で仕事を引き継いでいました。江戸時代の「士農工商」が私たちには親しみやすいと思います。代々、一家で、仕事を受け継いでいきましたよね。「家を継ぐ」という概念もこの頃は当たり前でした。

だから、きっと仕事の寿命は何世代分もあったことでしょう。

 

それが、産業革命などを経て、自由な市民社会が形成されるようになると、状況が変わってきます。

現代でも時折、ぶつかってますよね、「家業を継ぐ、継がない」って。

なぜ、こういう衝突が起きるかといえば、「自分の一生の仕事は自分で決める」という時代に入ったからです。

子どもからすれば「自分のやりたい仕事」に就きたいのに、親が「自分の仕事を継がせたい」と言うから、ケンカになるのです。

これを読んでる皆様や私のような現代っ子としては、「親御さんのお気持ちも分かるけど、子どもにとっても自分の人生なんだから、そりゃそう思うよね」と、どちらにも一定の理解を示すのが一般的でしょうか。

でも、そうは言いつつも、実際には結局のところ自分で選んだ仕事についている人がほとんどではないでしょうか?

 

これが、どういうことを意味しているかと言えば。

 

「仕事の寿命が縮んでいる」んですよ。

 

昔は、何千年、何万年もあったはずの「仕事の寿命」。

この「仕事の寿命」がたったの「1世代分」。つまり、「個人がそれぞれ自分の一生の仕事に就く」、そんな「仕事」の短命時代に入ってしまっているということなんです。

 

冷静に周りを見渡してみれば、それもそのはずです。

今を謳歌するIT系のお仕事の数々。

きっと数十年前には存在してなかったですよね。

あるいは過去には一世を風靡していたはずの、お仕事の数々。地元の代々続いていたはずの八百屋さんや魚屋さんや酒屋さんが消えて、コンビニやファストフード店に様変わり。

そんな風に、伝統のお仕事がどんどん撤退していく姿を私たちは見ています。

 

もちろん、根強く生き残っている方々もいますけれど、全体としてみれば、仕事の変遷が非常に早くなっていることは否めないでしょう。

そう、「仕事の寿命」は短くなっているのです。

 

 

さて、一方で、前述の通り、「人の寿命」は伸びています。

で、「仕事の寿命」は短くなっています。

その結果、何百世代分もあった「仕事の寿命」が1世代分まで短くなりました。

 

・・・さあ、この先に起こることは何でしょう?

 

簡単な話です。

「仕事の寿命」が「人の寿命」より短くなる――すなわち「1世代のうちに仕事が何回転かする」んです。

 

だから、そう。

 

ちきりんさんが言うように、

「一生のうちに一つの職場を勤めあげるだけでなくいろんな仕事を経験したり、間欠的に働いたりというのが普通の選択肢になってくる」

と聞くと、一見「激動の波」が来たように思えるかもしれませんが、実は、すごーく自然な成り行きなんですよ。

ただ、人類史上ずっと「人の寿命」が伸び続け、「仕事の寿命」が縮み続けた。その自然な経過なんです。

 

そう考えると、本書のような「人生のうちにいくつか仕事を変える選択肢も当たり前」という提言に対して、「一生を一つの仕事に打ち込むべきだ」と反論するのは、おそらくきっと「自分の仕事は自分で決めたい」と言う私たち世代に対して、「家の仕事を継ぎなさい」と私たちの親や祖父母の世代が言うようなものなのでしょう。

 

もちろん、「一生を一つの仕事に打ち込むべきだ」――そんな親御さんたちのお気持ちも分かります。

でも、多分、それがだんだん当たり前じゃなくなってきてしまった。

そういうことなんですよ、きっと。

 

そう、これは、誰が決めたわけでもなく、ただ、歴史の潮流というもの。

 

私にはそう思えるんです。

 

 

10年後に食える仕事、食えない仕事

10年後に食える仕事、食えない仕事

 

 

P.S.

ということでレビューでした(え、レビューだったの?)。

でも、まだまだおまけで一言。

 

ちきりんさんは本書をすごく難産だったと書かれていました。

読むまでは、どうしたんだろう、と思っていましたが、読んで納得しました。

ちきりんさんの前三作よりも、本書はすごく実例や具体例の記載が多いんですね。

後ろの参考文献リストを比べてみれば一目瞭然で、前三作より圧倒的にリストが増えているんです。

 

何故、これだけ力を入れられたか、想像してみたのですが、この本は前三作と違って、「アフターちきりん」さんの本だからではないでしょうか。

前三作はよくも悪くも多分、仕事をされていた時代の「ビフォアーちきりん」さんの要素から構成されていたように思います。

第一作「ゆるく考えよう」は「生き方」、第二作「自分の頭で考えよう」は「考え方」、第三作「世界を歩いて考えよう」は「世界的視点」。いずれも確かに「ちきりんさん」ではあるのですが、でも、おそらく退職以前にある程度「ちきりんさん」の中で確立されていた内容だったのでしょう。

 

一方で、本書「未来の働き方を考えよう」は、ちきりんさん主催の「ワーク・シフト」のオンラインリーディングに端を発した、仕事を離れた以後の「ちきりんさん」がブロガーとして色んな人と会い、色んな話を聞いて、考えたこと。そんな、仕事をしていた当時の「リアルちきりんさん」の要素の薄い、ブロガーとしての「ちきりんさん」の集大成なんだろうと思うんです。つまり、それまでの「ちきりんさん」の中ではまだ確立されていなかった考え方だったはず。

 

ちきりんさん自身、本書の中で第二の人生を始めようと決断して仕事を辞められたエピソードを書かれています。そこでまさに、「ちきりんさん」は「ビフォアーちきりん」さんから「アフターちきりん」さんに変わったのだと思います。

そして、ビフォアーとはまるで違う、産声を上げたばかりの第二の自分の人生を改めてまとめあげるのは、確かに難産にもなりましょう。

 

でも、それだけにブロガーとしてのちきりんさんの純粋な想いが詰まった力作です。

本書は「第二の人生」を提唱する本ではありますが、多分、この本自体が「第二の人生」で形作られています。

だから、この本がこうして存在している、ただそれだけでその主張が説得力を持つのです。

 

では、皆様も是非とも、どうぞ~。