雪見、月見、花見。

ぼーっと考えたことを書いています。

神様が見てる

誰かが死んだとか誰かが殺したとかひどいニュースを聞いたり、

 

知っている人が知っている人の陰口を言っていたり、

あるいは直接争い罵りあってたり、

 

友人が人生の先行きが見えないと落ち込んでいたり、

あるいは大切なあの人が私の隣で涙したり、

 

ほんと世の中悲しい話、辛い話でいっぱいで。

 

 

あまりの惨状に、誰かは言う、

 

「神様なんていないんだ」

 

って。

 

 

でも、実は私は「神様は居る」って思ってる。

 

例えば、重力定数なんかの、この宇宙を司る様々な物理定数が、ほんのちょっとでも違ったらこうして私たちが存在することはできなかったそうだ。

いや、私たちが存在できないどころか、数字が違えば下手をすると宇宙自体がすぐに崩壊してしまったりもするらしい。

 

そんなものすごくものすごく微妙なバランスの上で、私たちは、この宇宙は、生きていて、広がっていて、今ココに存在してる。

 

そう、この宇宙は恐ろしいほどよくできている。できすぎている。

 

だからといって別に証拠にならないのは分かっているけど、でも、私はソコに何かの意思を感じざるを得なくって。設計者の存在を意識せざるを得なくって。

 

だから、

――神様は居てもおかしくない。きっと居る。

 

 

ただ、だからこそ思うのは、多分神様は優しくなんかないってこと。

 

神様は居るんだけど、多分、そこに居るだけで、そこで見てるだけで。

宇宙の設定のパラメーターをいくつか入力しては、多分そこで眺めているだけで。

「上手く動くかな」なんて思ってるのか思ってないのか、ただ神様自身の設定に従って宇宙が動くのを見つめていて。

 

だから、人が苦しんでも、悲しんでいても、救ったりしない、助けたりしない。全然優しくない。

でもそれは一方で、人がどんなに驕り高ぶっても、罰を与えるわけでも、試練を与えるわけでもないから、厳しくも残酷でもないということにもなる。

 

 

神様はただ――どうなるか見てる。

 

優しくも、怖くも、厳しくも、慈悲深くもなく――ただ、見ている、私たちを。

 

善人も悪人も、誰も彼もを――ただ平等に。

 

だから、世の中に辛いことや悲しいことが多いとしたら、多分それは神様が狙ったことではなくて、たまたまなんだと思う。

 

 

 

神様には優しくあって欲しい人や、厳しくあって欲しい人もいるかもしれないけれど、私にはこんな神様がちょうどいい。

 

だって、自分が頑張って何かが上手くいったと思っていたら、それが神様の手助けがあったおかげだったら、興ざめだし、自分が悪くて何かが失敗したと思っていたら、それが神様の茶々が入ったせいだったら納得いかない。

そんなのフェアじゃない、全然面白くない。

 

私のことは私が決めたいし、私の限界は私の限界でありたいし、私の人生は私の人生でありたい。

神様だからって、余計なことはしないで欲しい。

だから、邪魔せず、ただ見てるだけの神様は私にはちょうどいい。

どんな結果も過程も、私が選んで私が喰らう、それがいい。

 

罰も暗闇も必要ないし、救いも光も必要ない。

私が私なりにあがくから、そこでただ傍観しておいて欲しい。

あなたが作った宇宙で、あなたが生み出した私が、どう動くのか、ただ見ていればいい。

面白がってもいいし、笑ってもいいし、同情してくれてもいいけれど、ただ手は出さないで欲しい。

ただ、私を私のまま生かして欲しい、行かせて欲しい。

それをただ見届けて欲しい。

見終わったらすぐに忘れてしまったっていい。

でも、ただ見ていて欲しい。

 

それが私の神様へのお願い。

わがままな私のわがままなお願い。

欲張りのような無欲なお願い。

 

 

 

あ、でも、神様、もうひとつだけ。

といっても何も要らないし、何も助けてくれなくてもいいけれど。

 

 

だから、

 

神様、

もしも願いが叶うなら、

あなたを一発殴らせて。

 

 

私は大切な人を泣かされて、許せるほど大人じゃないのよ?

この宇宙で――あなたが作ったこの宇宙で、あの人が泣くなら、それはやっぱりあなたのせいなんだし。

 

ただで済むと思わないでよ?

 

 

 

All Alone With You

All Alone With You

 

 

P.S.

ちょっと吐き出したかったのでー。

たまにこんな気分になります。