雪見、月見、花見。

ぼーっと考えたことを書いています。

悪役が教えてくれること

悪役が好きなんです。

 

小説でも映画でも漫画でも何でもいいんですけれど、そんな物語の中で出てくる悪役です。

 

なぜかというと、悪役が「どうしてこんなことをするのか」を語るシーン、これがすごく好きだからです。

 

ええと、こういうシーンはクライマックスで繰り広げられることが多いので、あまり典型例ではないのですが、ネタバレにならない作品ということで、「デスノート」という漫画を例に出したいと思います。

 

DEATH NOTE デスノート(1) (ジャンプ・コミックス)

DEATH NOTE デスノート(1) (ジャンプ・コミックス)

 

デスノートは映画にもなった有名な漫画なので、ご存知の方も多いでしょう。

 

一応、ざっとあらすじをまとめますと。

 

 

主人公「月(ライト)」が「人の名前を書いたらその人が死ぬ」というとんでもない能力を持つ死神のノートを手に入れるところから物語は始まります。

「月」は頭脳明晰・成績抜群のイケメンボーイなのですが、彼はそのノートを「世直し」に使い始めます。その方法とは、「ノートを使って、犯罪者を片端から死刑にしていくこと」でした。

犯罪者が次々と何者かによって「裁かれていること」に世間や警察もすぐに気づきます。

そのような私刑は許されない「悪」であるとして、警察と、そしてもう一人の主人公でもある凄腕の探偵「L」が「月」を追いかけることになります。

追う側「L」が追われる側「月」を探すのはもちろんですが、追われる側の「月」も追う側の「L」を逆に先に探し当てて始末することを謀ります。

 

 

こんな感じですね。

追うもの、追われるもの、両者の間で繰り広げられる高度な頭脳戦が大変に面白く、この漫画は大変なヒットになりました。

 

もちろん、私もその頭脳戦を楽しんだ一人ではあるのですが、それ以上に「犯罪者を裁くこと」という全編を通して描かれるテーマが心に残りました。

 

犯罪者を片端から死刑にする主人公「月」は作中でどちらかというと「悪役」として描かれます。実際、目的を達成するために時には「無実の人」も手にかけるので、やはり「正義の味方」という感じの描写ではありません。

そんな彼が作中で問いかけます。

 

「犯罪者を殺すことは確かに犯罪かもしれない。しかし、このおかげで戦争はなくなり、犯罪は激減している。理想の新世界に近づいている。悪い人間を裁き、世を正すこと、これは誰かがやらなければならなかったんだ。この行為を潰すのは本当に世のためか?これは本当に悪いことか?」

 

と。

 

対する「正義側(?)」が何と答えるかは作品を見ていただくとして。

 

さて、あなたならどう答えるでしょうか?

 

なかなか難しいですよね。

 

例えば、「確かに社会を正したいという意図は分かるけれど、やはりそれはやりすぎではないか」そんな感じに考える方も多いでしょう。

でも、そう返すとおそらく、「じゃあどの程度ならやり過ぎではないのか?」と言われ、そして、「そもそも、それなら現行の死刑制度はやり過ぎではないのか?同じことではないのか?やり過ぎじゃないというなら、やり過ぎかどうか、その境目はどこにあるのか?」と更に突っ込まれることでしょう。

 

ご存知の通り、死刑の是非については、世の中喧々諤々の様相です。

 

これに回答するのは容易ではありません。

 

 ◆

 

このように、「悪役」は私たちに道徳や正義とは何かを問いかけます。

 

これはなかなか私たち普通の人間にはできないことです。

仮に私たちが「善」に疑問を抱いたとして、「悪いこと」を推奨する発言や「悪いこと」を少しでもしようものなら、「それは悪いことだ」「お前は悪いやつだ」と責め立てられるのが目に見えているからです。

私たちはなんだかんだで「善人」でありたいので、なかなかそこまではできません。

 

しかし、「悪役たち」は違います。

彼らに「それは悪いことだ」「お前は悪いやつだ」とただ言っても効果はありません。

なぜなら彼らは最初から「悪いことをしている」自覚のもとにやっていますし、実体が無いので「善人」という立場を守ることを気にする必要も無いからです。

だから、「なぜそれは悪いことなのか」を私たちがしっかり示さないと彼らへの反論になりません。

そして、その答えを、案外私たちがちゃんと持っていないことを教えてくれるのが彼ら「悪役たち」なんです。

 

 ◆

 

文科省が学校での道徳教育のために心のノートというのを出しています。

文科省ホームページで見られるので、この間パラパラと読んでみました(皆さんも是非ご覧ください)。

 

道徳教育:文部科学省

 

いかがでしょう?

 

私は、なんだか・・・キレイすぎると感じました。

 

確かに書いてあることは、大事なことだし、そうだよねってことも多いのですけれど、すごく落ち着かないです。

 

なんというか、そう、「悪役」がいないんですよ。

 

彼らがいないまま、ただただ「こういう風に美しくなりなさい」というような暗示ばかりが背後に隠れているような気がするんです。

 

「なぜそれは悪いことなのか」を考えさせないまま、「それは悪いこと」という感覚だけを感じさせる、そんな内容なんです。

 

私は、これで本当の意味での「道徳」が身につくのか、すごく疑問です。

 

 ◆

 

例えば、今問題のアルジェリアの人質事件。

日本政府は「人命を尊重しなさい」とばかり繰り返します。

 

ただ、あえてここで私は「悪いこと」を言いますが(あえて!)、

 

世の中には「人質の人命を無視するべき」という考え方もあるんですよ。

 

だって、なぜ世の中で人質がとられるかと言ったら、「みんなが人質を大事にするから」です。「大事なもの」だからこそ、交渉材料に使われます。

だから、みんなが人質を大事にしなくなれば、テロ組織は人質を取る意味が無くなります。人質が居ようが居まいが関係なく攻めてくるのであれば、ただ手間がかかるばかりですから。

人質の人命を無視し続けて人質事件が起きなくなれば、結果的には「本当なら人質に取られ、失われたかもしれない人命」が失われなくなる、つまり人命が救われる可能性もあるんです。

こう考えれば、人質を大事にするかどうかは、「目の前の人命」と、「いつかのどこかの人命」を天秤にかけているとも言えます。 

ですから、「テロには屈しない」と言って強襲する方針が「人命を尊重してないか」と言うと、案外難しいんですよね(もちろん人質を大事にすることも当然「人命を尊重している」わけですが)。

 

なので、「人命を尊重しなさい」なんてキレイなことだけ言っていても、残念ながら、きっと何にもなっていないのです。

この問題は、そもそも、「人命と人命を天秤にかける」という、非常に辛くて悲しくて難しい問題なのですから。

 

 ◆

 

また、日本人が犠牲になってしまったことで、私たちはついつい日本人の立場で事件を見てしまいます。

だから、役立たずのアルジェリア政府や、日本人を殺したテロ組織がすごく憎くて、「悪いやつら」と感じます。

これは当然の感情だと思います。

 

ですが、その一方で、おそらくは、アルジェリア政府の事情、テロ組織の事情、と背景には色々あるんだとも思うんです。

彼ら「悪役」が「どうしてそういうことをしたか」が分からないですが、彼らなりの理由はきっとあるはずなんですよ。

アルジェリア政府もアルジェリアという国が生き残るために必死なのかもしれないですし、テロ組織も過去の身内の仇討ちかもしれません。もっともっと重い理由があるのかもしれません。

 

そんな彼ら「悪役」の視点が欠けている以上、私たちには何が正解なのか、何が正しいことなのか、何が善いことなのか、一体誰が本当の「悪人」なのか、きっと分からないんです。分かりようがないんです。

 

 

分かることは、こういう悲劇がもう起きてほしくないということだけです。

でも、どうしたら起きなくなるのかもまた、分からないのです。

 

本当に難しくて悲しくて辛いことですけれど、きっと私たちはこうやって悩み続けるしかないんです。

 

 ◆

 

量子力学が分かったというやつは量子力学が分かっていない」

ということわざがあります。

これは量子力学という学問が私たちの常識では計り知れない性質を持っているからで、それが簡単に分かるはずがないということから来ています。

 

道徳も多分そうなんですよ。

 

「分かった」というのは、文字通り何かと何かを分けることです。

道徳で言えば、それは「善」と「悪」に違いありません。

 

でも、私たちは本当に「善」と「悪」を分けられるのでしょうか?

 

そんなのは分けられないのではないでしょうか?

だって、私たちは全ての人の立場になることはできないですし、全ての「悪役たち」の立場にもなることができないですから。

自分たちの「善側の善」と「悪役たちの善」をちゃんと比べたことが無いのですから。

 

結局、突き詰めてみれば、どんな「善悪」の分け方だって、「これが善だから善なんだ!」と言っているだけなのではないでしょうか。

それは「悪役たち」にただ「これは悪いことだ」「お前は悪いやつだ」と言い続けているのと、そう違いはないのではないでしょうか。

 

 

だから、「道徳が分かった」なんて言う人は、多分道徳が分かってないんです。

 

なのに、道徳が分かっているかのように「善」のキレイなところだけを見せて、道徳が分かった気にさせたって、それは言ってみれば道徳未満の状態です。

「不道徳」ではもちろんないですけれど、でもきっと「未道徳」の状態でしかないんですよ。

 

 

「生」の大切さを知るためには、「死」についても考えないといけないように、「善」と「悪」は表裏一体で分離することはできません。

だから、「善」と「悪」を分けるのは難しいし、正解もないと分かっているけれど、でもそれでも「善」と「悪」について考え続けること――多分これが道徳なんですよ。

 

 

そして、その一端を教えてくれるのが、「悪役」なんです。

ついつい、「善」側の立場だけからものごとを見てしまう私たちの頭を揺さぶって、悩ませて、私たちを「未道徳」から「道徳」の状態に引き上げてくれるのが、「悪役」なんです。

 

私はそう思います。

 

 

だから、私は悪役が好きなんです。

 

 

 

・・・何か悪い?

 

 

 

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P.S.

悪役は劇中で「悪い」と言われるから悪い役。だけど本当に「悪」と思うかどうかはあなた次第なんですよね。

多くの作者たちももしかすると、自分で公式に言うと問題になるような疑問を、あえて自分の代わりに悪役に言わせることで、メッセージを発していることは多いんじゃないかなー、と思います。