専門家無視時代 -隠れモンスターになってませんか?-
本日の要旨:モンスターペイシェント、モンスターペアレントと言われる今日この頃。依頼者と専門家の役割分担をしっかり確認しないといけないと思います。特に、以前の「原発比率を国民に問う」という政府の対応は、モンスターと共通の「専門家無視」の意識があるのではないでしょうか。
— 雪見さん (@snowy_moon) 11月 11, 2012
原発比率は誰が決めるべき?
この間の「マニフェストは要らない」にもちょっと繋がる話です。
以前、政府が原発比率について国民の意見を公募したことがありました。
将来、原発を0%にするか、15%にするか、30%にするか、というアレですね。
結局意見を聞いた結果どうしたのか、どうなったのか、よく分からないのですが、当時これはすごく話題になって、論争も激しかったことを覚えています。
私が気にしてるのは、その比率をどれが良いか・・・ではなくて、
「それ、ほんとに国民に聞いちゃっていいの?」
ってことでした。
この質問が国民になされて、そして国民側もその気になってそれを決めようと真剣に議論している――みんな真面目により良い未来に向けてがんばっているのは分かります。でも、申し訳ないですが、私の目にはそれはとても恐ろしい光景に映ったのです。
確かに原発比率は大事な議題です。ですが、大事な議題だからこそ、どう処理するべきか、きっちりしておかないとと思うのです。
国民という主権側(依頼者)が決めること。
政府という代理側(専門家)が決めること。
原発比率はどっちでしょうか?
「何言ってんのさ、国民に決まってるでしょ」
そう言う人は多いかもしれません。
ですが、その言葉は思った以上に重いものかもしれません。
実は、下手をするとあなたのお仕事でもこれと同じ問題が潜在してて、あなたを悩ませている可能性もあるんですと言ったら驚かれるでしょうか?
この「誰が決めるか」という問題――これは原発比率を巡る政府対応だけでなく、最近各所で火種になっているように思うのです。
今日は、このテーマを、ボーッと考えてみたいと思います。
専門家とモンスターたち
教員・医師・警察などなど、かつて聖職と言われた仕事は、不祥事や横暴な仕事内容などが明るみになり、その輝きが失われて久しくなっています。
権威の落ち込みのため、何でもかんでも
「俺たち(プロ)の方が偉いんだよ。黙ってこっちの言うこと聞いときゃいいんだよ」
と言えばすんでいた時代は終わり、彼らも一般大衆の顔色をうかがわないといけない時代になりました。
この時代の変化のため、昔のような傍若無人な仕事は許されず、彼らもそれなりに襟を正して公明正大な仕事に励もうとするようになってきているのかなと思います。この点は非常に良いことだと思います。
ただ、一方でマイナスの側面も出てきているんです。
モンスターペアレント、モンスターペイシェント・・・
そうです。皆様もご存知のモンスターたちです。
彼らモンスターの言い分は単純です。
「俺たち(PTA様/患者様)の方が偉いんだよ。黙ってこっちの言うこと聞いときゃいいんだよ」
・・・あれ、どこかで聞いた言い回しですね。
そうです。立場が逆転したんです。
かつて専門家が依頼者に偉ぶっていた時代から、依頼者が専門家に偉ぶる時代への逆転です。
彼らモンスターたちは少しでも気に食わないことがあれば、やれアレをこうしろ、やれアイツをクビにしろなど、専門家の仕事内容にアレもコレも口を出します。
これも自分たちが偉いと信じ込んでいるからです。
もちろん、専門家側でない同じ依頼者側の立場としても、彼らモンスターのやり方は眉をひそめるもので、あまりよく思っている方はいないでしょう。多くの方は節度ある態度を取っていると思います。
しかし、本当に自分の中に「モンスターがいない」と言い切れるでしょうか。
時代の後押しというのは、やはり強い影響力を持つものです。
「私たち依頼者の方が偉い」
そう、ちょっとは思っていないでしょうか?
・・・えっ、思ってないです?
う~ん、それでは、ちょっと状況を変えて逆の立場の時はどうでしょうか。
ある時は依頼者、またある時は専門家
彼らモンスターのような横暴な依頼者の出現が、結果的に昨今の学級崩壊や医療崩壊などの各業界の荒廃を進める一因になっていることは、よく知られるようになってきました。
一部の依頼者側の横暴な態度が、専門家を苦しめるだけでなく、結局回り回って、依頼者全体にも不利益が出るのです。
そして、困ったことにこんなモンスターたちは、先に挙げた「聖職」に限った話ではありません。
「お客様は神様です」
を合言葉にして、依頼者であることをいいことに、無理難題を言ってくるクレーマーや取引先など、モンスターカスタマー(?)はどこの仕事にも居るものです。
皆さんもきっと、(大きな声では言えないかもしれませんが)否応なしに自分が専門家(プロ)側という立場でモンスターと直接対峙しなければならなかったというご経験があるのではないでしょうか。
どうでしょう。
そんな時、どう対応してるでしょうか?
多くの人は「ああもう、あんたそれどんだけ無理言ってるか分かってないでしょ」と内心毒づきながらも、笑顔でなだめすかし、平身低頭で謝り通し、時には本当はダメだけど要望通りに近づくように少し便宜をはかってあげちゃったり・・・とにかく相手を怒らせないように何とかその場をしのいでるのではないでしょうか。
もちろんあまりにひどいモンスターに対しては毅然とした態度で突っぱねるようにしっかりマニュアル化もされている職場もあるでしょう。しかし、あからさまなモンスターでなく、少しワガママ言ってくるようなプチモンスターには、なかなか簡単に突っぱねるのも難しいものです。
ともかく、結果として、私たちは依頼者の「ワガママを聞いてしまう」のです。
なぜワガママを聞いてしまうのか。
答えはひとつしかありません。
私たちは
「彼ら依頼者の方が偉い」
と思っているからです。
私たちは普段お客さん(依頼者側)のことが多いのですが、働いている時はお店の人(専門家)になります。
それは完全に表裏一体で、働いている時に「依頼者側の方が偉い」と思っていたとしたら、たとえ自覚してなかったとしても、それは依頼者側の時もこっそり「依頼者側の方が偉い」と思っている可能性は高いでしょう。
そもそも、多くの人が「依頼者側の方が偉い」と思っている、そんな「空気」の後押しがあるからこそ、モンスターが登場するわけで、モンスターの存在こそが私たちのその潜在意識の証拠と言えるでしょう。
ここまできて、「分かった分かった、じゃあ、みんな依頼者の方が偉いって思っちゃってることにしようよ、でもそれの何が悪いの?そりゃ本格的なモンスターまで行ったらまずいけど、ちょっと心の中で思ってるぐらいならいいんじゃないの?」って言われるかもしれません。
確かに少しぐらい心の中で「依頼者の方が偉い」思ってるぐらいでは、特に問題はありません。
ただ、考えてみて下さい。
果たしてモンスターの人たちは自分のことをモンスターと思っているでしょうか?
きっと、思っていないはずです。おそらく「自分は当然の権利を主張しているだけ」と言うことでしょう。
そう、モンスター化というものは自覚がないのです。
これが本当に怖いところで、そのモンスターの種は誰しも持っていて、下手をするとモンスターになってしまうかも、あるいはなってしまっているかもしれないということに気づくこと、注意することが大事だと私は思うんです。
隠れモンスターでも、学級崩壊や医療崩壊のように、その業界を崩壊させることには変わりがないので、依頼者側としてとても気をつけないといけないところなんです。
では、モンスターの要求がどれだけ理不尽で、それがどれだけ専門業界を崩壊させるか、ちょっと見て行きましょう。
専門家の役割、依頼者の役割
あなたが、ある日美味しいパスタが食べたくて、イタリアンのお店に行ったとします。
この場合、お店のシェフが専門家で、あなたが依頼者になります。
そして、そのパスタが・・・何だかマズかったとします。(笑)
あなたはどうするでしょうか?
とりあえず「もう二度とこの店に来ない!」ことに決めるでしょう。
思わず、一言「まずかった」とシェフに言ってしまったり、友達に話したり、ブログに書いてしまったりするかもしれません。
ここまでは、まだモンスターじゃないです。
じゃあ、「お金返して」って要求するのはどうでしょうか?
これはなかなかですけど、実はこれもまだモンスターというかどうかはグレーゾーンでしょう。
本当のモンスター的な行動はこうです。
シェフを捕まえて、「あのね、次からこうして。パスタのゆで時間を◯◯分にして、塩加減は□□g。具材は◯◯産のアレと△△産のコレを使って・・・」と指示する・・・
・・・これ、具体的な作成過程に口を出してるんです。
正直、シェフとしたらたまったものじゃないですよね。
もちろん、この例はすごく誇張してますが、モンスターペアレントもモンスターペイシェントも本質は同じです。この「過程に口を出す」、この行為こそモンスター行動なんです。
もちろんシェフが「作り方はこっちが決めること」と突っぱねればいいのですが、「モンスターを後押しする空気」があると下手をすると「じゃあそうします」と受けてしまうかもしれません。
モンスターの方が実は本当にシェフよりもパスタのセンスや経験がある人であればそれで万事OKなのですが、あくまで素人さんだとすると、なんだかんだいってやっぱりダメだったりします。
そして2度目のマズいパスタが出てきた時に、モンスターは更に「だからやっぱりゆで時間が!素材が!」と要求し、シェフがそれに従って、更にダメに・・・という悪循環が始まります。
こんなモンスターが少数なら、被害は少ないのですが、こんなモンスターが多数派だったらどうでしょう。「パスタの作り方の指示に従わない店は行かない」という人が多数派だったらどうでしょう。
「はいはい、うちは言われた通りに作りますよ!」というゲンキンな店が繁盛し、「いや、うちにはうちのやり方があるんだ」という頑固なお店が閑古鳥で潰れていきます。
・・・こうして最終的に依頼者の指示通りに作る店だけ残りました。
ですが、どうでしょうか。ここにパスタの専門家は残っていると言えるでしょうか?
依頼者が自分で作ってるのと変わりませんよね。。。
強いて言えばみんなが専門家なようなものです。
きっと、美味しいパスタは食べられないでしょう。
いえ、みんながすっごく勉強して、パスタを作る技術を高めれば、それでも「美味しいパスタ」は保てるかもしれません。
・・・ですが、やっぱり無理は出ます。
私たちは全部の専門家にはなれない
何とかパスタの技術をみんなが勉強して、すごく高いレベルの指示を出せるようになったとします。
でも、お寿司はどうしましょう?中華料理はどうでしょう?
ジャンル変わって、農業はどうでしょう。お米の作り方指示いただけますか?
あ、工業製品はどうします?コンピューターの作り方、マッチの作り方、ネジの作り方教えてください。
それと、銀行業はいかがします?教育は?医療は?警察・消防は?政治は?
当たり前ではありますけれど、この世の中には多種多様な仕事があって、とても全部の内容を把握はできません。
全部の専門家になるなんて不可能なんです。
だから依頼者の時に大事なことは「自分は素人なんだ」という謙虚な気持ちです。
そして依頼者も専門家もお互いの領分を尊重することが大切なんです。
依頼者は「美味しいパスタ」という結果を依頼するのが役割で、どの専門家を選ぶかが腕の見せ所です。
専門家は「美味しいパスタ」という結果を得るための「パスタを作る」という過程を担当するのが役割で、腕の見せ所です。
依頼者は任せた以上「過程」を口出しちゃいけないし、専門家も「自分に依頼するように」強制できません。
つまり、それぞれがそれぞれの役割を持つだけで、依頼者も専門家もどちらも偉くないんです。対等なんです。
もし依頼者の思う「美味しいパスタ」という結果が得られなかった時、単純に依頼する専門家を変えたらいいんです。
ですが、モンスターは自分の好む「過程」を求めてしまいます。これは「専門家の仕事」の領分で、ここへの依頼者の侵食は結局「マズいパスタ」につながってしまうんです。
パスタは出来不出来がすごくわかりやすいので、実際にはこんなモンスターは登場しにくいと思います(あくまで例なので)。
ですが、出来不出来が曖昧な業界が世の中にはあって、そういうところに私たちの中のモンスターは暗躍するのです。
原発比率は「過程」?「結果」?
ようやくですけど、冒頭の議題に戻ります。
原発比率は誰が決めるべきかというお話でした。
政治というのはすごく出来不出来が分かりにくい業界で、「美味しいパスタ」になっているかどうか曖昧なんです。依頼者だけでなく、シェフの方でもよく分かってないかもしれません。
だからついついそんな分かりにくい「結果」じゃなく、分かりやすい「過程」に目が行きがちです。
ですが、「美味しいパスタ」を作るには専門家が専門家の仕事ができるように配慮してあげないといけません。
先程までみたように依頼者が「過程」にこだわると「専門家」も「良い結果のための過程」ではなくて「結果はどうあれ受けの良い過程」を選ぶようになってしまうからです。
だから、しっかり確認しましょう。政治における「結果」は何でしょう。「過程」は何でしょう。
私の思う「結果」は「みんなが幸せに生きられる社会」です。
そして、私にとって「原発比率」は「過程」でしかありません。
だって、「原発比率」が0%だろうが、30%だろうが、100%だろうが、「みんなが幸せに生きられる社会」で無いと意味がないじゃないですか。
「塩」が何g入ってようが、結果が、求める「美味しいパスタ」で無いと意味がないのと同じです。
なのに、あろうことか政府という名のシェフは「何g」入れましょうかと聞いてきたんです。
私たちお客としてはどう対応するべきでしょう。
それは多分、客同士で「何gがいいか」議論することではありません。
「それを決めるのはあんたの仕事でしょ。そんなこと聞いてくるなんてやる気あるの?早く美味しいパスタ持ってきてよ。じゃないと他のお店行くよ」
こうして、あくまで結果で勝負させることだと思うんです。
聞いてきたのが、最後にタバスコをかけるかどうか、という個人の好みのレベルの問題ならいいでしょう。ですが、「原発比率」という問題はお好みでかけるタバスコのレベルではありません。パスタ本体の大きな出来を決める大事な素材ですし、そして専門家レベルの高度な判断を要する素材です。
私には正直、どの比率が良いか分かりません。分かるなんて言えません。
だって、原発のことなんて事故がなければ考えたこともなかったんです。それを果たして自信を持って決められるでしょうか?
だから、
この質問が国民になされて、そして国民側もその気になってそれを決めようと真剣に議論している――でも、申し訳ないですが、私の目にはそれはとても恐ろしい光景に映ったのです。
だって、そこにはモンスターの影が見えた気がしたから。
私の気のせいでしょうか?
そうだといいのですけれど。
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P.S.
あ、もちろん議論するのはいいと思うんですけど、誰か「そんなこと聞いてくるな!」って言ってほしかったなぁと思うんです。
だから、どっちかというとそんなこと聞いてくる政府がモンスターですね。
依頼者-専門家の関係は「エージェント問題」という、また難しい問題もあります。