雪見、月見、花見。

ぼーっと考えたことを書いています。

オスプレイと凧揚げ

風船、たこ揚げ…反対派、オスプレイ「妨害」 米当局が抗議

 

何となくニュースを眺めていたら、こんなのがあったのでビックリしました。

オスプレイに反対する人たちが、米軍基地の近くで風船やタコを高く上げて飛行を妨害しているようなんです。

気持ちのあまりの行動だとは思うのですが、これはいくらなんでも本末転倒じゃないですか?

 

だって、そもそもオスプレイが墜ちたら嫌だから反対してるはずなのに、オスプレイを墜としかねない方法で妨害をしてるわけです。

それってどうなんでしょうか?

それとも、市街地で墜ちるんじゃなければOKということなんでしょうか?

 

 

      ◆

 

 

前から思っていたんですけど、オスプレイ反対派の人たちに欠けてる視点があるような気がします。

 

反対派の方々はオスプレイは墜ちやすいから危険だと主張しています。

「市街地に墜ちたら県民に被害が出る。嫌。」

その気持は分かります。当然です。

 

でも、他にオスプレイが墜ちた時にまず間違いなく犠牲になる方がいます。

 

それは乗ってる海兵隊員の方々です。

 

墜ちたら彼らは死んじゃうんです。

それが市街地でなく海の上でも山の中であっても。

オスプレイの安全性に対する依存度は彼らの方が高いんです。

 

 

本当にオスプレイが危険だと思うのなら、まずは彼らに訴えかけないといけないんじゃないでしょうか?

彼らに「危険だから乗らないで」と言わなきゃいけないんじゃないでしょうか。

彼らのことを抜きに「自分の周りだけ飛ばないなら良い」と主張するのって、要するに「海兵隊員は死んでも良い」って言ってるのと同じです。

無意識に彼らの命を軽んじてるんです。

 

 

      ◆

 

 

こう言うと、過去の米兵の犯罪や墜落事故の危険性を並べて、反対派の方々は「米軍の方こそ沖縄県民の命を軽んじてる」と言うかもしれません。

確かにそこについてはしっかりこちらも怒って主張しないといけないと思います。

でも、だからといってこちらからも相手の命を軽んずるような態度で対抗してよいというわけではないでしょう。

そんな「目には目を、歯には歯を」な態度だと、どっちもどっちに見えるだけです。

 

 

相手がこちらの命を軽んじてると思うなら、まずこちらが相手の命を尊重して見せてあげないといけません。

それでこそ筋が通るし、初めて対話できると思うんです。

相手の襟を正すには、まず自分の襟を正さないと始まらないんです。

 

 

     ◆

 

 

この問題については正直、米軍の方もけっこう我慢してるんだと思います。

「危険な乗り物だけど、自分の周りだけ飛ばないなら良い」というような自分たちの命を無視した意見を主張されていも今まで黙っていたわけですから。

でも、今回の凧揚げについては本当に怒ったんでしょう。だってとうとう直接自分たちの命を脅かす行為に出たわけですから。

 

「個人の言論の自由は断固として支持する」と表明する一方、「米軍機の航行の安全が脅かされたり、米軍への脅迫や攻撃があったりした場合、沖縄県警とその他の日本政府当局が必要な措置を講じることを期待する」

 

なのに、すごく大人な発言です。こんなことをされてもまだ「そういう主張をすることは認めるよ」と言ってくれているんです。

同じ日本人として恥ずかしいぐらいです。

 

ただそんな"できた"人たちであっても、こんな風に自分の命を脅かした相手の命を尊重しようと思うでしょうか?

そんなことはないでしょう。

表向きは丁寧ですけど、本当に怒ってると思います。

結局、今回の凧揚げのせいで、よっぽど米軍の態度は硬化してしまったはずです。

オスプレイ配備や米軍基地撤退の交渉なんて夢のまた夢じゃないでしょうか。

 

 

 

       ◆

 

 

今回の事態を見ていると、THE YELLOW MONKEYの歌の有名なフレーズを思い出します。

 

♪外国で飛行機が落ちました ニュースキャスターは嬉しそうに
乗客に日本人はいませんでした
「いませんでした」「いませんでした」
僕は何を思えばいいんだろう 僕は何て言えばいいんだろう

 

自分や身近な人は大切です。

私たちは非力で多くのモノは守り切れないから、親しい人たちだけでも守りたい気持ちは当然です。

だから身近な人が無事なら何はともあれ喜んでしまったりします。

 

例えば誰かの合格を祝う時、誰かは不合格になっているんです。

それでも合格した人たちは嬉しいし、ごちそうを食べるでしょう。

誰かの願いが叶うころ、誰かが泣いている・・・そんな歌もありました。

 

でも、それも仕方ないと思います。それでいいと思うんです。

 

 

ただ、だからといって、他の人たちへの敬意を全く忘れていいというわけじゃないでしょう。他の人たちのこともできる限り尊重する努力をするべきでしょう。

昔の記事「愛で戦争は無くならない」でも書きましたが、「嫌いな人」をどうやって尊重するかが大事なんです。これは本当に難しいですし、どうしても感情的に受け入れがたいこともあるはずです。でも、そうしないとずっといがみ合ったままなんです。

 

本当に本当にオスプレイを止めさせたいなら、本当に本当に米軍基地を撤退させたいなら、どんなにどんなに米軍が憎いとしても、まずは相手の命を考えるところからなんだと思います。

 

だから風船なんて揚げてる場合じゃないんです。

本当にやめて下さい。お願いします。。。

 

 

JAM

JAM

 

誰かの願いが叶うころ

誰かの願いが叶うころ

 

 

 

P.S.

一応、オスプレイに反対するなという話ではありませんので誤解無く・・・。

ただ単に今回のように命を脅かすような嫌がらせはちょっと無いんじゃないのと思ったので。

抗議するにもやり方ってものがあるでしょうというお話です。

 

オスプレイが本当に安全かどうか、これは難しい問題ですよね。。。

でも、いつかこの考察も書こうかなとは思っています。