雪見、月見、花見。

ぼーっと考えたことを書いています。

眠れない夜 眠っちゃう昼

 

この間、髪を切りに行ったんです。

2,3美容師さんと小話をした後、ついついうとうとして眠っちゃって。

ハッと気づいたら出来上がっちゃっていました。

それで、今度はシャンプーに移ります。

その一瞬は起きていたんですけど、そのシャンプー中、またグッスリなんです。

「うーん、昨夜は一応良く寝たつもりだったんだけどー」って、呟きつつ思ったんです。

 

こういう時って何でこんなにも眠っちゃうのかなー

 

他に、マッサージなんかでもついつい寝ちゃいますよね。

これはやっぱりリラックスして気持ちがいいから眠ってしまうのかなぁ。・・・と思ったのですが、よくよく考えてみると、学校の授業やらセミナーなんかでも眠くなっちゃいますよね。というか、私は基本的には寝ています(^^;)

でもでも、あれって、リラックスして気持ちがいい状態?・・・と言われると、そんなことは決して無いですよね。むしろ、苦痛です(笑)

 

逆に、夜お布団に包まれて、とっても寝る体制に入っていても、なぜだか眠れない時もあります。お布団の中なんて、気持ちがいい状態のはずですし、何で眠れないんでしょう。

 

 

眠りたくても眠れない夜

眠くなくても眠っちゃう昼

違いは何なんでしょう?

 

 

思いついたポイントは「受け身」です。

美容院もマッサージも授業も、全部、「やってもらっていること」を受け止め続けなきゃいけなくて、他のことをできない状態なんですよね。

自分からアレコレするような主体的な行動は許されない状態なわけです。

「受け身の状態」に拘束されているんです。

 

例えば、家で映画を見ているときは寝ないのに、映画館では寝てしまうことがありますよね(いえ、滅多に寝ないんですけど!)。

映画館では「映画を見させられる」という受け身の状態に拘束されて、どんなにつまらなくても映画を止めたり他のことをしたりすることが許されないけれど、家では自由です。

これが違いなんです。

 

夜眠れないことについても、説明がつきます。

いくら心地良いお布団の中であっても、あまりにもそこは「自由」なんですよね。

誰かが何かをしてくれるわけでもなく、ただ自分の意識だけがあって。

とても自由に考え続けられてしまうんです。

それでは眠れないんです。

何かに閉じ込めないと、何かに括りつけないと、意識というのは休まないんです。

 

子守唄もそういうことなんだと思います。

子守唄を聞かせて「受け身の状態」にさせちゃって、意識を自由に活動させないようにする。

そうやって赤ちゃんを眠りに落とす。

私たちは昔から、「受け身の状態」じゃないと眠りにくいことが分かっているんでしょう。

先人たちの知恵ですね。

 

「羊を数える」のも少し近いでしょう。

あれは羊が次々とやってきて、それを見続けるという「受け身の状態」に自己催眠をかけるテクニックなんだと思います。

やってもうまくいかない時は、どうしても「自分で羊を数えている」という自分の意識の存在が忘れられていない時なのかなと思います。

 

 

もし不眠症の方がいらっしゃったら、自分を何かしら受け身の状態に拘束するようにしてみたらいいのかもしれません。

そんなに生易しいものじゃないかもしれないけれど、少なくとも自由な状態で眠るよりはいいのではないでしょうか。

 

 

 

ということをいつものようにボーッと考えていたら、目が冴えてきちゃいました。。。

眠らなきゃいけないのにーー。

あれこれ考えちゃう癖も考えものですね。

 

それではみなさま、良い夜を。