器いっぱいの水の話
「今日少し泣いちゃって・・・」
しずしずと私のところに寄ってきて、そう彼女はつぶやきました。
それはそう、確かにつぶやきで、周りの喧騒にかき消されそうなほどか細いものだったのだけれど、本当は彼女は叫んでいたのかもしれません。
きっかけは些細な出来事で、それは私も目撃していました。
まあ、たしかに少しダメージを受けるかもしれない、そんなところ。
「私も何でほんとあんなことでって思うんだけど、でもそれが引き金になっちゃったんだと思う」
彼女自身も頭では些細なことだと分かっていながら、感情の方は暴走を始めてしまったようです。
「それで、しばらく裏で泣いてたんだけど、なかなか泣きやめなくて、仕方ないから赤い目のまま仕事に戻ったの」
「でも、泣きながら仕事してるこんな女がそばにいたらみんな嫌だろうなって」
「あ~、こんなことぐらいで泣いちゃいけないよね」
「私はこんな弱くて申し訳なくて、ほんとダメだなって」
「あ、でももうおさまったし大丈夫なんだよ~。薬も飲んだしね」
「ごめんね、おじゃまして」
私もいくらか返事をしていたと思うのだけれど、あまりよく覚えていません。
ほとんど聞いていただけだったかもしれません。
でも言いかけてやめた言葉はひとつ覚えています。
ほんとに大丈夫だったら、こうやってわざわざ言いに来ないでしょ?
◆
○○を苦にして自殺―――。
そういう話を聞く度に、「死ぬ気になれば、そんなのどうにでもなるんじゃないの?」って、昔は思っていました。
でも、最近になってようやく、そういうものではないことが分かってきた気がします。
心は器のようなもので、心が限界の人は、その中が濁った水でいっぱいになってしまってるんだと思います。
その水はこぼしたらいけない水で、でも器がいっぱいだとちょっと動くだけでもこぼれてしまうから、身動きがとれなくなってしまいます。
死にたくなるほど限界に達してる人は、その環境を変えるほどの余裕なんて無いんです。
「死ぬ気になれば」なんてよく言えたものです。
動いたら水がこぼれてしまうから、死にたくないから、動かなかったんです。
器がいっぱいになってしまったら、動きようのない本人にはどうにもならないことなんです。
だから、器がいっぱいになる前に、そうならないようにしないといけなかったんです。
辛いことや悲しいことがある度に、器にはどこからともなく水が注がれます。
時間が経てば多少は蒸発もするのですが、注がれる量が多い時は水面が上昇してしまいます。
こういう時にその増えた水を何とかしないといけません。
楽しいことをしたり、休んだり、そんな暖かい光を当てれば水の蒸発は早まります。
あと、愚痴を言ったり、思い切って泣いてしまったり、水そのものを吐き出してしまうのも効果的だと思います。
これらの水減らし活動のポイントはなるべく早く行うことです。
水が増えれば増える分、その活動をする器の余裕もなくなってしまうのです。
本人の水減らしが上手く行けば良いのですが、失敗して水減らし活動が難しいぐらいに溜まってしまうこともあります。
そういう時は周囲の人がくみ出してあげないといけません。
くみ出すのが難しい時は、器の水が注がれないような環境を整えてあげないといけません。
ただ、困ったことに、器の水の量というのは、他人にはおろか、本人にも把握が難しいものです。
本人も気づいていない水面の上昇を、どうやったら気づいてあげられるでしょうか?
ひとつの案は、こぼれた水を見つけることです。
水量が多くなってくると、ちょっとしたことで、水がこぼれることがあります。
泣いていたり、イライラして周りに当たっていたり、ボーっとしていたり、失敗が増えたり、感情や行動のムラとしてそれは出てきます。
そういうサインを見逃さないことが大事なんだと思います。
ただ、水をこぼすということは本人としては無意識のうちに恥ずかしいことだと思い込んでしまうもののようなのです。
だから、こっそり泣いていたり、こっそりボーッとしていたり、聞かれても「大丈夫!」なんて言ったりします。
気を付けて観察しないといけません。
また逆に自分自身の場合でも「堂々とこぼしてやる~!」ぐらいの気持ちでいた方が周りに気づいてもらえていいのかもしれません。
◆
彼女は本当に頑張りやさんで、あんまり愚痴をこぼすことはありませんでした。
それだけに私は心配なんです。
自分では「私は弱い」なんて言っていたけれど、私はそうは思っていません。
怒られるかもしれないけれど、むしろ強い方かもしれないとさえ思っています。
でも、強いとか弱いとか、そこはあまり気にしちゃダメなんだと思います。
どんなに大きな器でも、水を注ぎ続ければいっぱいになるんです。
いっぱいになってしまえば元が大きな器だろうと小さな器だろうと関係ありません。
大事なのは水をちゃんと抜くことなんです。
どんなに器を大きくしよう大きくしようと思っても、それには限界があると思うのです。
もうそろそろ一人で頑張るのはやめてもいいんじゃない?
もっと遠慮無く吐き出してもいいんじゃない?
少しずつからでもいいんです。
愚痴はカッコ悪いとか、弱音を吐くのは情けないとか、そんなの気にしないでいいんです。
大丈夫です。
きっとあなたのこぼした水のサインに気づいて、既に水を受ける準備をしてくれている人はいます。
びしょ濡れになろうともかまわないと思ってる人はいます。
思い切って吐き出してみませんか?
せめて吐き出せる余裕があるうちに。
器いっぱいの水になる前に。
手遅れになる前に。
・・・ほんと、どうかお願いだから。