誰も知らない物語
そろそろ結婚しないの?
きっと、この魔法の言葉と言いますか、呪詛と言いますか、ともかくコイツは独り者が実家に帰りたくなくなる理由ランキングトップ3に間違いないです。
この言葉で一瞬で重傷を負った後は、「結婚がいかに良いものか」に関してのお説教が追い討ち上等と延々続きます。
ヘタをすれば勝手にお見合い話が進むなどの「実力行使」「暴力行動」にまで発展しそうになります。
敵は兵力も十分。リーダーの親だけでなく、熟練の戦士たち祖父・祖母も交えての大軍団です。
全くもって、絶望的な状況です。
もうこの魔法の言葉を耳にタコほど聞いちゃった人も、とうとう初めて聞いちゃった人も、これから聞く予定の人も、聞かずに済む人も、あえて聞かれなくなっちゃった人も、人生色々と思いますが、みなさんこの心境はご理解いただけるかと思います。
そんなん、こっちの勝手でしょーがっ!
・・・それにしても、どうしてこうして、結婚に関してはこうも推進派が多いのでしょうか?
私だって特別結婚に反対しているわけではありません。
結婚するもしないも本人の自由じゃないのかな、そんなに押し付けなくてもいいんじゃないのかな、って思うのです。
この疑問を持っているのは私だけではありません。
某有名ブロガーさんも「他のことでは多様な生き方を認めている人まで、結婚に関しては特定の生き方を押し付けてくることが理解しがたい」と述べられていました。
おそらくは皆少なからず疑問に思っていることなのでしょう。
そもそも、考えてみれば私は「結婚しないこと」「一生独身で生き抜くこと」についてほとんど知りません。
難しく重大な選択では、それぞれの選択肢を比較・対照・吟味することが王道です。
それなのに、「結婚すること」と「結婚しないこと」の2択でこんなにもこんなにも悩まされているのに、「結婚しないこと」はよく分からないのです。
これって私だけではないのではないでしょうか。
「結婚すること」に関しては、両親や祖父母など未来のモデルケースが目の前でずっと生中継されてきましたし、他にも多数の既婚者たちがゲスト出演してくれて、私たちに様々なパターンの結婚生活を見せてくれます。
子どもの時代から自然と「結婚すること」に関する情報は豊富に手に入っていきます。
一方で、「結婚しないこと」に関しては、そもそもモデルケースとなる独身者が身近に居ることが稀です。
子どもから見た重要な地位にある両親は普通は既婚者で、そして祖父母も両親の両親ですから、周りを見てもほとんどが既婚者です。
子どもは原理的に既婚者に囲い込まれて育つことになり、独身者はその包囲網の外にしか居ません。
子どもを持つほとんどの人が既婚者なので、当たり前といえば当たり前です。
その上、最近でこそ未婚率が2ケタになってきているとは言うものの、一昔前では未婚率は数%しかありません。
つまり、人口の上でも圧倒的に独身者は少ないのです。
人数が少なく、物理的・心理的距離も遠い。
子どもが育つ際には、圧倒的な大量の「結婚すること」の情報に揉まれるばかりで、「結婚しないこと」を学ぶ機会は殆ど無いと言っていいでしょう。
こうして、子ども時代には先ほどのように「結婚しないこと」についての情報はほとんど得られないので、それを知ることができるかは、大人になってからどうなのかが焦点になります。
まず、子ども時代が過ぎ去って、皆一度は独身者のカテゴリーに入ったことでしょう(早婚の人は、その期間はもちろん短くなります)。
では自らが独身者になった時点で「結婚しないこと」が分かったことになるかというと、そういうわけにはいきません。
私たちが知りたい「結婚しないこと」はあくまで「いわゆる結婚適齢期を過ぎても結婚しないこと」ですので独身者のカテゴリーに入ったばかりの頃では自らの経験として理解するには早すぎます。
すなわち自らの経験として「結婚しないこと」を学ぶには、いわゆる結婚適齢期を超えて、熟練の独身者になる必要があります。
でも、それでは「結婚すること」「結婚しないこと」の選択を考えるには時間がかかりすぎです。
決断のタイミングは非常に繊細になりますし、わがままかもしれませんが、どうせ結婚するならいわゆる適齢期がいいなって思うのも人情でしょう。
やはり情報は独身者の先人の方々からいただきたいところです。
叔父叔母など親戚の中での独身者、職場の独身者、趣味や遊びで知り合った独身者。
一般的な可能性はこのあたりになるでしょうか。
確かに、結婚観について彼らから情報をもらえることはありえないわけではありません。
ただ、結婚適齢期以下の世代から見れば彼らは目上の人に当たり、そしてご存知の通り、結婚推進派、結婚至上主義が闊歩するこの世の中で、彼らは結婚について「あえて聞かれ無くなっちゃった」グループになります。
目上の人に堂々とこんな「空気が読めない」質問をするのは難しいものです。
特別に親しくなって、個別に会話ができる時ぐらいでしょうか。
いえ、親しくなっても、聞きにくい時もあるでしょう。
「親しき仲にも礼儀あり」
私たちにとって真剣に選択するにも話題にするにも「結婚」というものは重すぎるのです。
こうして、「結婚しないこと」に関する情報収集は困難を極めます。
その中で結婚し、既婚者となった人々はそもそも情報収集の必要もなくなります。
既婚者に囲まれて育ってきて、既婚者となった彼らは「結婚すること」しか知りえません。
過去の歴史を通してずっと、そうやって既婚者になる人たちが多数派です。
一方、少数ながらそこを越えて、自らが独身者、「結婚しないこと」の体現者となった人たちが残ります。
彼らがそれを自ら選択したのか、自然にそうなってしまったのか、それは分かりません。
ただひとつ分かることは、彼らこそが「結婚しないこと」の唯一の語り部ということです。
―彼らに「結婚しないこと」を教えてもらいたい。
ですが、それが得られがたいのは、これまで見てきた通りです。
既婚者たちの人生は世代を超えて「伝説」となります。
対して、独身者たちの人生は彼らだけの「誰も知らない物語」なのです。
「結婚すること」しか知らない既婚者たち。
「結婚すること」しか知らない既婚者たちに育てられて「結婚した」既婚者たち。
彼らも「結婚すること」「結婚しないこと」に悩んだことがあったかもしれません。
しかし彼らは理由はともあれ「結婚すること」を選びました。
周囲の環境も、自分の選択も「結婚すること」に縁取られています。
こうなるともはや「結婚すること」は彼らの人生そのものと言えます。
そんな彼らが「結婚すること」を推進するのは自然なことでしょう。
「結婚すること」を肯定することは自分の人生、そして自分の世界を肯定することです。
「結婚しないこと」なんて自分が否定した選択肢で、そして自分の世界の誰も知らないのですから。
「結婚すること」がそもそも生物学的にも社会学的にも自然に受け入れやすいという特徴も支えとなり、「結婚すること」の連鎖は続きます。
こうして結婚推進派は史上ずっと圧倒的多数を維持してきましたが、最近この盤石とも言える体制に変化が起きています。
先ほど少し触れた、生涯未婚率の上昇です。
ずっと数%であった生涯未婚率は2桁に急上昇しているのです。
1995年生まれの世代の生涯未婚率は20%に達するとの見解もあるようです。
驚異的な数値で、人類としても未曾有の変化と言えるのではないでしょうか。
そしてこれはまさしく「誰も知らない物語」の語り部の急増を意味します。
多数派と言えないまでも、ここまで増加すれば「囲い込み」も「空気」も決壊することでしょう。
自然に私たちも独身者を身近に体感することになるでしょう。
その存在を無視することや否定することはできなくなるでしょう。
世界の隅っこで今まで静かに紡がれては消えていた物語が、ついに日の目をみることになるのです。
彼らは何を考え、何に笑って、何に泣いて。
そして自分の人生をどう思っていたのか。
人類にとって古くて新しいフロンティアが今そこにあるのです。
私たちは奇しくもこんな変化の時代に生まれました。
この刺激的な環境の中で、「結婚すること」「結婚しないこと」を選ぶことができます。
前者は古来から伝わり、多くの経験者や逸話に溢れた「天国」。
確かに楽しそうな場所ですし、周りの人も皆勧めます。
でもあまりにも手垢がついて、何だか普通すぎる、刺激が無い印象もあります。
対して後者は、行って帰ってきたものは居ない全く未知の「大海原」。
確かに何が起こるかさえわからず、天国かもしれないし地獄かもしれません。
でも時代は大航海時代です。
今まさに数多くの船乗りたちが水平線に向かって帆を張ろうとしているのです。
平凡な幸せを取るか、未知の冒険を取るか。
今、私は波止場で悩み続けています。
もしかすると、この時代の変わり目に「誰も知らなかった物語」を自ら覗き見る魅力に抗えなくなるかもしれません。
それは果たして愚かなことでしょうか?
その答えは今のところはまだ誰も知りません。
(参考資料)
※「結婚しない」言い訳を考えていたら、こんなことになってしまいました。。。